野村正峰先生の足跡を尋ねて  ~うたまくら317号より - 正絃社

野村正峰先生の足跡を尋ねて ~うたまくら317号より

野村正峰先生の足跡を尋ねて
 伊豆大島つばき小学校への旅     栗山美智子

つばき小学校校歌
            作詞作曲 野村正峰

 一、澎湃(ほうはい)寄せくる 黒潮浴びて
   御神火の島 われらが故郷
   つばきの校(しる)章(し) 高く掲げし
   我が学び舎は 今ここにあり
 
 ニ、紅深く 緑は映えて
   姿やさしく その香ぐわしき
   大島人(おおしまびと)の 篤き心を
   伝統(れきし)とともに 学び励まん
   
 三、玲瓏(れいろう)遥か 富士が嶺(ね)望み
   われらが志操(こころ) 清く高らか
   未来への夢 世界の果てに
   つばきの誉れ 永久(とわ)につたえん

(注)澎湃(ほうはい):水のみなぎりさかまくさま
   篤き(あつき) :恩恵 情愛の深い
   玲瓏(れいろう):透きとおり曇りのないさま
   志操(こころ) :守って変えない志

  この校歌の最初の試作が、届けられてから制定されるまで、平成十七年八月から平成十八年三月までの正峰先生と当時のつばき小学校長・白井先生との往復書簡が残されていてその大事業の一端を偲ぶことができます。

この度の訪問は、療養中の正峰先生のかたわらでそのすべてを見てこられた秀子先生が、
「正峰先生作詞作曲の校歌をお持ちのつばき小学校を訪問してみたい」
と、問わず語りに話された言葉を、愛弟子の小藪由美さんが耳にとめ、段取りされ実現の運びとなりました。また、つばき小学校のご好意もいただき、終業式に出席し校歌斉唱を聴かせていただくことになりました。
 さて当日、つばき小学校に到着し車から降りるとすぐに、登校してきた子供さんたちから「おはようございます」と大きな声で挨拶され、なんて素敵な学校だろうと感心し嬉しくなりました。
 終業式で繁多な日程にもかかわらず、河津副
校長先生はじめ係の先生方も、式次第の説明など大変丁寧にしていただき、撮影の段取りやそれぞれの役割分担なども準備でき、落ち着いて式場に入ることができました。
百二十一名の全校生徒に、
「きょうはお客様がきていらっしゃいます」
と紹介していただき、厳かに式は進行し、いよいよ校歌斉唱です。
 校歌が制定されたときの白井校長先生の書簡に、
澎湃玲瓏など、私たちではとても思いつかない言葉に感動いたしましたが、何より心を奪われたのが「大島人」という呼び方でした。今までこの地では使われなかった言葉ですが、これからこの校歌を通して、是非広めたいという希望も持てました。島の情景と私たちの想いを、先生が見事に描いて下さった、この歌詞は、本校の校歌として歌い継がれ、卒業生の心の糧となるに違いありません。」

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 このあと、前日卒業式を終えたばかりの卒業生二十四名が鼓笛隊で三曲演奏、三曲めは校歌演奏でした。鼓笛隊で聴くと、男子には源為朝のような矢猛心を、女子には椿の花のような情操を、と願って作詞作曲された正峰先生の想いが、より強く伝わってまいりました。
 続いて秀子先生のお話です。
「つばき小学校の校歌の作詞作曲は主人にとって最後の作品であったこと。椿小学校を訪問したいとずっと話していたこと。そして皆さんは言葉を大切にして、私のお父さんがお母さんがではなく、父が母が、と言える人になってください。」としめくくられました。
静かに淡々と話される姿に、言葉では語りきれない熱い想いがあふれていました。
 学校には、秀子先生が書かれた校歌の額があり、普段は応接室に掛けられて、式典のときには会場に運ばれるのですが、その文字の見事さに、秀子先生を「書道家」と紹介されていました。さもありなんと、私たちはうなずいておりましたが、秀子先生の「私は書道家ではなくお琴を弾いています」の言葉に不思議そうでした。

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 椿まつり開催中のせいか、いつもなのかは訊けませんでしたが、港にはアンコ姿の女性が出迎えてくださり、にこやかに手を振ってくれました。撮影のために待っている間、つばき小学校出身で「澎湃寄せ来る~」と歌ってくれました。
今は教育委員会に籍をおいていらっしゃる、白井先生が出航間近まで、バームクーヘンと呼ばれる断層壁の続く名所や、波浮の港を案内してくださいました。
 つかの間の滞在でしたが、あちこちで大島人の篤き心に触れられた感動の旅でした。

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