「縁」への回想  ~うたまくら318号より - 正絃社

「縁」への回想 ~うたまくら318号より

「縁」への回想      鷲津 紀子

 今年五月、初代家元野村正峰先生(以下宗家)生誕90周年記念のコンサートが宗次ホールにて開催されました。
宗家往年の名曲の数々が、正絃社合奏団により上演され、聴きごたえある演奏は観客の感動を呼びました。一曲ごとの終りには一瞬の静寂が会場を包み、その後の万雷の拍手は、それ自体が観客の心の表れであったと、感慨深い気持ちでした。
 私は久しぶりに客席で鑑賞させていただき、若い方々のその成長に、胸の熱くなる思いでおりました。
 とりわけ、三絃三重奏「大河」では演奏中に糸が切れるというアクシデントにもかかわらず、演奏を中断することなく弾きとおした度胸には…脱帽!!

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「大河」(左より竹内裕美・川勝ももこ・竹内麻絵さん)

 正絃社若き会員の実力に圧倒された一日でした。
これに続いて十一月には、しらかわホールにて、野村正峰生誕90周年を記念する演奏会が催されます。タイトルは、
《名古屋市民芸術祭2017参加》
〝創造〟のDNA―和楽の響き
宗家の曲を中心に、宗家を引き継がれている祐子先生、峰山先生そしてさらに、今や三曲(箏、三絃、尺八)をご自分のものとされん勢いの幹人先生と、邦楽界の将来を担う精鋭のゲスト尺八家の方々の出演に、期待のかかる舞台が展開されそうです。

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2011年野村正峰三回忌コンサートしらかわホールの客席

 

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 この演奏会で私は、「縁(えにし)」に出演いたします。宗家の曲のほとんどの題材が、世界、とりわけ日本の古典文学を題材、あるいは、国内はもとより、海外を旅行された先々の風土、史跡を、感性の趣くまま情緒豊かに表現される中で、「縁」は少し異質なように感じられます。
人は、人との〝縁〟の関わりなくしては生きてはいけないのだと、宗教観のようなものを感じます。作曲は一九八六年(昭和61年)、宗家59歳の作品です。
 解説文を引用させていただくと、
『〝袖ふれ合うも他生の縁〟といいます。人と人との出会いは、運命の岐れ道といってもよいほど不思議な因縁でもあります。また、このようにして出会った人たちと、趣味、同じ仕事で結ばれるということは、本当に奇縁で奇遇であり、おめでたいことであります』と、述べられています。 
 宗家は、趣味を同じくした入門者の私たちを、運命共同体とお考えになり、我が子同然に慈しみ育てて下さいました。
 この「縁」が作曲されたのは、『野村箏曲教室』(昭和28年)設立より33年後(昭和61年)のことでした。
当時、すでに作品の数は百二十曲以上に及び会員数の増加に伴い、正絃社「春の公演」も、二日間の開催へと拡大。東北で産声を上げた「東北正絃社」は十周年を迎えておりました。
二代家元祐子先生のリサイタルも毎年開催。 


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「春の公演」宗家挨拶の右後方に鷲津先生


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        東北正絃社新年会

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野村祐子リサイタル

  

 その二年後(昭和63年)には関東正絃社設立と、発展興隆の一途を辿っていた時期でした。これらのことから、多くの会員からの支持、邦楽界での諸師の方々との出会いなどを回想されての作品かと推察されます。
 すると、意外や意外、この曲は祐子先生との共作の部分があると「正絃社三十周年記念誌」で知りました。どの部分の作曲が宗家か祐子先生か、聴きあててみるのも楽しみなことです。

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正絃社創立三十周年記念誌(1995年発行)
 ※若干の在庫があります


 余談になりますが、私が宗家のお名前を知ることになったのも本当に奇遇だったのでした。
それは昭和34年(伊勢湾台風)の9月初めのころ、我が家から道一つ隔てた向かいの街路樹のところ、箏曲演奏会開催の大きな立て看板が立ちました。
その頃しばらく箏から遠ざかっていた私は、その「箏」という字に魅せられるように会場に出向いた記憶があります。
まもなく台風襲来で、町も我が家も一変。
そんな折しも、近くに「野村箏曲教室」があると知り、咄嗟に入門を決めました。この先60年に及ぶ宗家との〝縁〟が続くとは、夢にも思わぬことでした。
 入門してすぐに「先輩を立てて下さい」とのお言葉があり、団体の規律を重んじる先生、との印象を受けました。終世この姿勢だけは守らなければと、心に言い聞かせました。
 入門した当初は四十人ほどの会員数でしたが、その三年後の「ゆかた会」の写真を見ると、現幹部会長の津田眞知子さん始め、歴代の会長のお顔もあり、懐かしさが込みあげてきます。

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野村箏曲教室ゆかた会

 五十年以上続いている宗家との〝縁〟と、長く同じ趣味の道を歩んできた芸友との〝縁〟のおかげで、私は人生を心豊かに送ることが出来ました。この〝縁〟を感謝しつつ、今秋の「しらかわホール」での公演を、恙なく迎えることが出来るよう、健康に留意し、老若が力合わせてまいりたいと思います。
(正絃社参事・初代幹部会長)


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野村正峰作品展(三回忌)公演にての「宮城野」(箏左側・鷲津紀子先生)

 

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