お便りコロナ特集 ~うたまくら331号より - 正絃社

お便りコロナ特集 ~うたまくら331号より

お便りコロナ特集 

コロナうつになりました 鷲津 紀子

 終戦から75年目の秋を迎えました。今年80歳になる私ですが、今日現在はコロナウイルスにも負けず、無事に過ごしておりますことに感謝しております。

 今年の戦没者追悼式はコロナウイルス対策の影響で、全員がマスクの着用という異様な光景の式典でもありました。
あの大戦の時、五歳であった私は、8月15日の終戦記念日のことは、今も脳裏から消えることはありません。あの日も今年の夏のように、太陽がギラギラと差し込むような暑い日であったと記憶しています。
最後の爆撃の時、幼な心にも降りしきる火の粉が怖くて、母の手を引っ張って「防(防空壕のこと)に入ろう」と言っていたのを覚えています。鶴舞公園に避難して戻ったときには、我が家は跡形もなく灰燼と化していました。
その後一、二年で母は私にお琴を習わせていましたから、それほどに母はお琴の音色が好きだったのでしょう。母は亡くなるその日まで、お稽古場から流れる琴の音色に、安寧の日々を送ってくれたものと自負しています。

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犬山での合宿にて・左側鷲津紀子先生

 しかし、その音色がコロナ禍による自粛のために、75年ぶりに途絶えることになりました。百年に一度と言われるパンデミックに直面し、約半年にわたり日本のみならず、世界中が先の読めない不安を感じながら過ごしています。
夏には収束、どころか第二派が蔓延しています。この恐怖心は五歳の頃に体験したあの怖さとなぜかダブります。
私の日記を見ると、2月1日に中国で風邪で二千人が感染。日本への入国禁止、その後クルーズ船の乗客の中で次々に感染が拡大、有名人の方や高齢者の死亡が報じられていました。
折しも、家元祐子先生の「愛知県芸術文化選奨文化賞」受賞の喜ばしい報に接するも、残念ながら授賞式には参加できませんでした。祐子先生の才能と努力に唯々感服し、さらなる発展を願うばかりです。

 名古屋における感染拡大に伴い、80代の老親を抱える娘達の打った手は、『阿久比町(知多郡)で五月まで自粛生活をせよ』とのことでした。
二十二日、門人の皆さんと正峰先生作曲「春の歳時記」をフルパートで合奏し、三か月後の再会を約束し、自粛生活に入りました。
阿久比町の稽古場は、夫が定年退職後、趣味の家庭菜園に勤しめるようにと建てた家。田んぼに囲まれた気候温暖なところです。建てた当初は、蛍の乱舞も見られた野趣豊かな場所ですが、街中育ちの私には馴染めず、お稽古が終わるととんぼ返りをしておりましたので、長期間の自粛生活は不安でありました。
三年前の野村正峰生誕90周年演奏会の出演曲「縁」でご一緒した四人で続けてまいりました本部でのレッスンも、いったん中止。愛しい孫たちとも切り離されての生活は、案の定、一週間もすると「名古屋へ帰りたい・・・」。

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初代家元との海外演奏・シドニーにて

 そのうち、食事の時には夫の箸の上げ下ろしも気に障るようになりだすという始末。いろいろな終活にも気を注ぐが一向に気は晴れない。これってもしかして「コロナうつ」?
病院へ行きたい。歯の調子が悪い。愛犬に会いたい…等々、口実を作っては名古屋へ帰るという日々を過ごしておりました。
四月半ば頃、秋から手入れをしていた薔薇が次々と咲き始めると、私の気持ちにもゆとりが出てきました。そんな時に、お弟子さんから「いつ頃、お稽古を再開しますか?」との問い合わせ。これを機に、一気に私の鬱は解消されたのでした。
6月10日にお稽古を再開。前回合奏し残した「春の歳時記」の三楽章。それはそれは楽しい合奏でした。一気に華麗なフィナーレに行く頃、お弟子さんとの再会できた喜びに、私は感極まって涙を抑えることが出来ませんでした。

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社中の皆さんとの「春の公演」舞台中央・鷲津紀子先生

 考えてみれば私の鬱の原因は、皆さんと楽しくお話しながらお琴が弾けなくなったこと。
一日も早いコロナの終息を願うとともに、私の五感に沁みわたってきたお琴の音色が、これからも平穏に響き渡ってくれることを思っております。令和2年8月18日(正絃社参事)

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コロナのなかでの過ごし方  小林恵利子

 既に延期となっておりますが、2020年は東京五輪の年でした。
准師範試験の受験を今年にしようと決めたのは、年の初頭のことでしたが、にわかに新型コロナが流行し始めました。春の講習会・夏の合宿・秋の研修会が軒並み中止になり、「今年の試験は開催されるのだろうか」と、心配しながらの日々を送っておりました。
五月末にコロナの第一波が去り、一度は安堵したものの、七月中旬には第二波が到来。再度不安が生じました。
「試験が開催されたとして、仙台から名古屋へ無事に辿り着けるだろうか」
「新幹線や飛行機に乗って大丈夫だろうか」
「本部の先生方に感染をさせることがあっては大変」
…等々、不安な考えが頭を過ぎる中、モチベーションを保ち続けるのは、想像よりも大変な作業でした。
オリンピック代表選手の皆さんも、きっと同じ不安を抱いているに違いないと、世界中のアスリートに思いを馳せたりもしました。
いやいや、このままじゃいけない!
「行動を起こすことが何より早く不安を小さくしてくれる」
「今ここで、自分のできることを頑張る」が、自分のモットーのはず。
気持ちを前向きに切り替える術を考えて、いくつか実践してみました。

①着付けを勉強し直してみる
時間ができたらやってみたかったことのひとつでした。上手に着付けができたら気持ち良く演奏できそう、との思いで、一か月程かけて勉強し直しました。
着付けに対する不安が減りましたし、これからは着物で季節の移り変わりを味わってみよう、という気持ちまで芽生え、人生の新たな楽しみが見つかりました。

②暗譜に挑戦する
箏、三絃、十七絃パートを一日1ページ位のペースで、40ページ程暗譜してみました。やればできると多少の自信が付きましたが、試験曲の暗譜は未完成です…、あともう少し、頑張ります。

③プチ合宿をする
教室の皆さんとプチ合宿を開催しました。(密にならないよう配慮しました)仲間の皆さんと練習することで、気持ちを引っ張り上げてもらいました。何より、気の置けない方々との合奏はとても楽しく、気持ちが明るくなれました。

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2018伊豆合宿・三島大社にて右から二人目小林恵利子さん


④先生方の動画を視聴する
祐子先生、哲子先生、倫子先生が、それぞれのYouTubeに動画を投稿なさっています。画面から溢れ出そうな気迫、美しい音色、吉本新喜劇顔負けのチャーミングな演技。今年、イベントで会いたかった皆さんの笑顔。(哲子先生の動画には、エンドロールに色んな方が登場しています!)大好きな人たちに会えない寂しさが紛れましたし、先生方の元気な姿を見ると、ホッと安心できました。
(写真)投稿動画「箏の知識」

⑤過去の出来事に感謝し、
未来の希望を想像する
これまでの正絃社のイベントや個人レッスンに参加してきて、本当に良かったと感じました。先生方を含め、県外の皆さまにお会いできない日々は、もうしばらく続くかもしれません。
そう考えると、皆さまと過ごしてきた時間はとても貴重で、自分を支えてくれる大切な思い出になっています。
また、今は試験曲に集中していますが、試験後に勉強したい曲が山ほどあります。うたまくら盛夏号に新刊が2冊発表される旨を発見して、大変驚きました。このコロナ禍に、音楽を通して元気を分けてくださる家元ファミリーは、本当に頼もしくて素晴らしいです。しかも1作は正峰先生の遺作とあって、胸が揺さぶられました。新曲を作られる祐子先生のパワーにも脱帽です!楽譜を手にできる日が、今からとても待ち遠しいです。
今年は職場の皆さんか、
「家の中で楽しめる趣味があって良いですね」と言われるようになりました。自分自身、箏や三絃を続けていて良かったと思える瞬間が、何度あったかわかりません。音楽を通じて沢山のことを楽しみ、成長できる幸せを感じながら、毎日を生きていこうと思います。(仙台市・小林幸子門下・助教)

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コロナに学ぶこと  大澤みどり
・流行語はカタカナ?
最近は時の過ぎるのが早いと感じます。特に今年はというとステイホームでごそごそしているうちに、春から夏を無くしてしまったようです。うかうかしていると令和3年がすぐそこに。
そう言えば、年末には恒例の流行語大賞というのがありますが、今年はコロナ関係の言葉しか思い浮かびませんね。いつもなら、ふざけたお笑い芸人のギャグや若者言葉もあると思うのですが…。
私はというと、英語も疎い中年おばさんのくせに、ソーシャルディスタンス、パンデミック、クラスター、オーバーシュート、ロックダウン等々…。当たり前のように会話に使っています。本当はあまり意味も把握できていないのですが、「ずっと前から知ってましたよ」といわんばかりに知ったかぶりで。
正直、オーバーシュートと言われても、バスケットボールしか浮かびませんでしたし、ディスタンスと言えば、勿論私たちの世代はアルフィーの「星空のディスタンス」ですよ。勿論、こちらも意味不明ですが。
さらに、ニュースを見ればアラートとかで街や建物がカラフルになっちゃったり、リモートやらテレワークやら…。何がなにやら、そしてどうしたらそんな事ができるのか、全くおばさんはついていけてないのです。なんかおいてきぼりにされているようで、余計にコロナに恨みが増します。皆様ちゃんとついていけてましたか?
それでも今回コロナを通じて学んだこともあります。人類の歴史。今まで何回も人類は感染症で痛い目にあっているのですね。

331 otayori06 大澤みどりさん

・お祭りは疫病退散
日本では昔から疫病退散のための神社も作られ、あの有名な京都祇園祭も疫病退散の祭りなのです。今年はこれも神事以外のハイライトは中止になりましたが、
「そもそも、目的が疫病退散なのにー。やめちゃうの?」
と、突っ込む人もいたそうです。なるほど、感染拡大の心配の方が大きいという事です。

・戦争と疫病
また、第一次世界大戦のおりには、スペイン風邪というインフルエンザがはやり、戦争のため、兵士によって全世界に拡散してしまったようです。かなりの死者もでたようで、戦争でケガした人と、感染者とで、病院はかなり混乱したようです。
スペイン風邪のせいで第一次世界大戦は早めに終結したとも言われています。疫病で兵士も戦えず、そのうち戦争どころでなくなってしまったということでしょうか。変な話ですが、戦争さえ健康第一ということです。
第二次世界大戦が原爆で終わったことは周知のとおりですが、第一次世界大戦の終わりは、まさかの感染症という黒幕がいたのですね。
その頃の日本の様子を検索してみたら、写真がありましたが、驚きです! 銘仙の和服を着た人達がみな、アベノマスクらしきものをしてるのです。和服にアベノマスク…、ちょっと勉強してみるとおもしろい発見があります。

・江戸時代には
江戸時代にはコレラが流行したようですが、なんとか御先祖様達は生き残ってきて、今の日本があります。昔は医学の力というより、陰陽師の力に頼ったり、神社で祈ったりしか方法が無かったのかもしれませんが、中には知恵のある人がいて、コレラが多い地区の井戸は封鎖したという話も出てきました。

・あまびえちゃんとともに
今回は、『アマビエちゃん』という、今まで知らなかった妖怪にも出会うことができました。はじめ「なに?」と思いましたが、慣れれば可愛いじゃないですか。
勿論医学の進歩を願い、アマビエちゃんのお力を信じて、楽しいことを学びつつ、コロナ終息まで過ごしていきたいと思います

・母が見た「未来の絵」
コロナ自粛期間中の母との会話です。
昔、母が幼稚園か小学校低学年の頃、「未来の絵」という課題のお絵かきの時間があったそうです。未来の日本がどのようになっているのか、どんな世界になっていて欲しいのか、想像して絵を描くのです。
母は自分が何を描いたのか全く忘れてしまったそうですが、男の子たちが突拍子もない絵を描いていたのを覚えているそうです。女の子としては呆れてついていけなかったのでしょうね。
例えば・・、
・空を車がビュンビュン走っていく。
・立っているだけで、道の方が動いてくれて、楽ちんに移動できる。
・ボタン一つで自分が食べたい美味しいものが出てくる。
・ロボットと一緒に会話し、色々お仕事してくれる・・・等々。あまりに突拍子もないおかしな想像なので、八十年近くも覚えていたのでしょう。  
しかし、
「そういえば、あれって全部、今、かなってるよね。人間ってすごいね」
と、言いだしました。確かにそうです。
私が小さい頃の母の実家は、まだ、五右衛門風呂でした。黒電話もありましたが、もう一つ、壁にくっついた電話があり、それは、大きな糸巻きみたいなものを耳に当て、ラッパみたいな口で話す電話でした。当然トイレは和式です。
そんな所で育ってきた母にしてみれば、幼い頃、男の子が描いた突拍子もない未来が、今、当たり前になっていることが、さぞかし不思議に思えるのかもしれません。

・人間ってすごい
(空飛ぶ車)大都市では空を見上げれば、高速道路がいくつも交わり、車が飛ぶように走っていきます・・・、先日、新聞で空飛ぶ車が開発されているという記事を見ましたが・・・。
(動く歩道)空港など重い荷物を運ばなくてはいけない場所では、動く歩道が以前から完備されていました。
(調理器具)材料は必要ですが、ボタン一つおせば、電機圧力なべや電子レンジからは、ホカホカの料理がでてきます。
(ロボット)実家には親のボケ防止の為にアイボ君がいて、会話はできませんが、呼べば来てくれるし、時にはボールを追いかけ、踊りも踊ってくれます。そして十分疲れると、自分で充電器へ戻っていき、寝るのです。
お店やモールでペッパー君に、「いらっしゃいませ!」と、言われると、手を振ったりしたくなりますよね。
我が家でも、ボタン一つで風呂にお湯をはり、ご飯をたき、時には「扉が開いてます」と、冷蔵庫に叱られます。車の運転中には、「車線からはみ出しています」と、ピーピー注意され、「ごめんなさいね~」と車に謝るのです。

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昭和54年、正絃社初の海外演奏ポーランド旅行・若き日の大澤みどりさん何処にいるでしょうか?

・私の未来
そんな中、私は今ちょっとした未来を思い浮かべます。腰に手をあて、
「ファイト!一発!」
と、ドリンクを飲み干す。そして、
「あ~良かった、コンビニで買っておいて。これでコロナも治っちゃう。抗コロナドリンクのおかげでへっちゃら~」
と言って、瓶の分別をするだけ。
もしかして、あと数年でこんな具合になるのではと、密かに期待しています。
頑張れ、人間!  (名古屋市・直門・師範)

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