作曲の思い出「旅路」 野村秀子 ~うたまくら331号より - 正絃社

作曲の思い出「旅路」 野村秀子 ~うたまくら331号より

作曲の思い出「旅路」  野村秀子

 多くの皆さんが愛好してくださっている野村正峰作品ですが、作曲の背景や裏話を知っていただき、曲をもっといろいろな面から理解してほしいと願っております。
まずは、代表作のひとつと言える「旅路」について、お話ししましょう。
「旅路」は、1967年の作曲で50年以上も前に書かれた作品ですが、手前味噌ながら今でも新鮮に感じられる名曲です。
敗戦のため未来を閉ざされた若き日の苦悩を、そのまま音楽に重ねて「放浪」「逡巡」「新しい門出」の三楽章にまとめたものですが、今、この曲を振り返ってみると、野村正峰の原点が解るような気がします。当時、どのような気持ちで「旅路」を書いていたのかと、その心情を偲ぶと私は今でも涙が出ます。野村正峰の心に寄り添って一生懸命手伝ってきたつもりでしたが、私はその頃、どれほどの理解を持って接していたかと反省させられます。

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昭和40年代の野村正峰と秀子の演奏

 「旅路」を作曲した当時は、NHKラジオ放送の機会に恵まれており、手書きのできたてホヤホヤの楽譜で弾いたものです。第一楽章の原譜では、冒頭の部分を除いた99拍は全て3連符で書かれていました。鉛筆書きの原譜では、尺八と絡みながら3連符が連続し、尺八と交代に3/4拍子。拍子を間違えないようにと緊張の演奏でした。
そのラジオ放送の反響は素晴らしく、楽譜の申込が殺到。そして、楽譜の公刊化という状況場面で私が悩んだのは連続する3連符でした。
古来、邦楽では「3」のリズムに馴染みがなく、3連符に加えて3/4拍子の掛け合いは、楽譜を見ただけでも難解に感じられました。
私のモットーとして楽譜は、演奏者が音楽を理解しやすく、弾きやすい、読みやすいものでなくてはならないと心掛けていましたので、「旅路」の連続する3連符は何としても避けたかったのです。
ついに心を決めて、6/8拍子に書き直すことにしました。譜面の長さは2倍になりますが、演奏者が見やすい楽譜となることを選んだのです。幸い、野村正峰も3連符の表記に拘らず、6/8拍子での表記を理解してくれて現在の楽譜ができました。
そして、このラジオ放送の「旅路」は、箏曲界に新風を吹き込みました。
ここで野村正峰の作曲法についてご紹介しましょう。
その第一は資料集めです。題材となる土地へ旅行して肌でその空気を感じることも欠かせないことですが、その前にその土地の歴史や文学を読みこんで構想を練ります。当時は入浴しながら本を読んでいることが多く、いつまでたってもお風呂から上がってこないので、眠ってしまって溺れているのではないかと心配して何度も覗きにいったものでした。作曲の下準備にとても時間がかかり、しかも作曲のスピードは遅く、演奏者からの再三の催促をなだめるのも私の役目でした。のちに「美吉野」の作曲の折などは、演奏会の一週間前になっても第三楽章が出来上がらず、ようやく3日前になって、
「よし! できた!」と言うので、
「では楽譜をください!」と請求すると、
「頭の中にできたので、今から書く!」と…。
とにかく曲の題材に入れ込まないと作曲が進まない人でした。
「心が動かないと作曲はできないんだ。」と常々言っていました。
ですから、有名作曲家のように、何歩歩くまでに1曲できる、とか、特に何の思いもなく作曲できた曲など、才能ある作曲家には及びもつかない作曲法です。
ですから作曲完成の時期を聞かれると、
「万端の準備をして作曲に取りかかる」
「頭の中ではもう、半分くらい作曲できたよ
うなものだ」
「調絃を決めるまでが大変なんだ」
などと言い訳けしていましたが、それはそれで作曲が完成すると、それからがまた大変。
自分の周りに楽器を全部並べて、試し弾き、試し吹きの時間です。1小節ごとに和音を確かめたり、箏の手順や音色、手法の確認をします。時には門人を呼び集めて弾かせたり、皆は間違えたら叱られるとビクビクしながら弾くのですが、間違いが逆に採用されるなんてこともあったり・・・、懐かしい思い出です。

331 tabiji02 遠くを見つめる野村正峰


 話が逸れましたが、「旅路」の第二楽章では、第五絃、第九絃を半音上げます。五のオクターブ上の為は、そのままの調絃ですが弱押し(半音上る)で使います。
この楽章の作曲では正峰が私に、
「こういう音階って何という音階なんだろう?」
と聞くので、楽理書を調べてみると、和声短音階の第4音を半音上げた音階で、ジプシーの曲(ハンガリア舞曲など)によく使われる音階でした。
「それって、ジプシー音階よ!」
この返事に、
「ああ、そうなんだ。芸術作品にもよく使われるって。そうか、これがジプシー音階なんだ。」と、スッキリ。自分で勝手に音階を作ってしまっていいのか、と心配していたようで、音階の正体が判って安心した正峰は嬉しそうでした。
2/4拍子での三連符2回は6/8拍子と同じ、和声短音階の第4音を上げるとジプシー音階になる、「旅路」のお稽古では、この2つを覚えてください。
それではこの続きは、また次の機会のお楽しみに。

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晩年の野村正峰

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