野村正峰作品を紐解く ~うたまくら335号より - 正絃社

野村正峰作品を紐解く ~うたまくら335号より

野村正峰作品を紐解く   野村 祐子 

 気まぐれなコーナーですが、長らく愛されている野村正峰作品について、今回は次の3曲を比べてご紹介いたします。

「篝火」(1970年作曲)
「こきりこの里」(1971年作曲)
「深山の春」(1978年作曲)

 この3曲は、いずれも箏高低2部・尺八の三重奏で、高音箏の調絃はいずれも同じ「大楽調子」(平調子から四・六・九・斗を一音上げ、第一絃は五の乙)、各曲の低音箏も、ほぼ同じ調絃による作曲です。同じ調絃でありながら、雰囲気の違う曲想が描かれるのは、異なる音階の使い方に起因しています。音階分析を、じっくりとお読みください。

 

「篝火」(かがりび)
 EXPO‘70、大阪での万国博覧会にちなんで、人類文明の進歩を祝い、明日への希望を燃え上がる炎と人々の歓喜の祈りを描いた作品で
原作はフルートのために書かれ、尺八での演秦にはやや高度のテクニックが必要です。

 「篝火」の第1箏では、第七(二)絃からの《七 八 ヲ八 九 十 ヲ十 斗 為》の音列が、
 《ラシドレミファソラ》の短音階となり、第七絃はGの高さなので、《ト調短音階》の曲です。
 さらに、和声短音階となったときには《ソ》が♯となるので《ヲ斗》が加わり、一オクターブの中で3か所の押し手を使う音階となります。
 当初、フルートとの合奏曲として作曲され、洋楽的な旋律が主軸でありながら、箏の音色が生かされています。フルートでの演奏を聞いた大学生(当時、学生三曲が盛んであった)から
「尺八でも演奏できるのでは?」
との要望で尺八譜に書き直されましたが、今もなお全国的に高い人気の作品です。
 念のため第二箏では、この短音階は、
《四 五 ヲ五 六 七 ヲ七 八(ヲ八)九》となります。

 

「こきりこの里」
 「こきりこ節」は富山県五箇山地方の民謡で、その昔、かくれ住んだ平家の落人が伝えたといわれています。平安調の栄華の風俗をしのんで歌い継がれる「こきりこ節」は、素朴ななかに哀調をたたえ、また、猿楽、田楽などの舞楽の片鱗をとどめる、文化的にも意義の高い貴重な民謡です。
 民謡の素朴な笛の音や、「こきりこ節」に使われる「ささら」の擬音を箏に移すなど、和音や箏の手法に苦心を重ね、「こきりこ節」を主題とする狂詩曲風にまとめた作品です。                 

「こきりこの里」の冒頭では第一箏の、
《五六七八九十》の音列が、尺八(一尺八寸管)の、《ロツレチハロ》と同じ音程です。階名で表すと、《ラドレミソラ》となり、この音列は正絃社発行「教養のための箏の常識と楽理のお話」(野村秀子著)で、《こきりこ陽旋音階》と分類している陽旋音階の一種です。
 五絃=D(壱越)ですので日本音楽的にいうと《壱越調こきりこ陽旋音階》この音階は、尺八では《ロ調》の全音符の音階となり、尺八の演奏手法に半音が含まれずよく響く音階になります。
 第二箏では、《二三四五六七》絃が対応します。
 箏曲譜[E][F]の部分では、第一箏の音階は、《五 ヲ五 七 八 ヲ八 十》となり、平調子・壱越(D)調の《陰旋音階》に転じ、さらに[F]の最後3小節では、《八 ヲ八 十 オ十 斗 巾》の、黄鐘(A)調《陰旋音階》(中空調子)に、転じています。そして次の[G]では尺八で旋律が奏されますが、《チハロ ツ レチ》の黄鐘調《こきりこ陽旋音階》のなかで《レ》の替わりに《チ》(チの半音)を使って、雅楽の篳篥で奏される塩梅のようなポルタメント奏法の旋律に、こきりこ節をアレンジしています。
 これを箏の音階に直すと、《八 九 十 オ十 為 巾》で黄鐘(A)調《こきりこ陽旋音階》となりますが[F]の最後で転じた、黄鐘(A)調《陰旋音階》の《八 ヲ八 十 オ十 斗 巾》(中空調子)と、いわば同主調の関係になります。
 この[G]の音階の構成音には、《オ五》《オ十》の一音の押し手、また尺八《チ》に対応する《ヲ七》の押し手がありますが、この部分の箏パートは、「こきりこ節」に使われる「ささら」などの打楽器の音を模した手法の伴奏で、旋律を奏することはなく押し手から解放されています。
 最後の[H]の部分では、最初の調性に戻りますが、《九 ヲ九 十 ヲ十 斗 ヲ斗 為 ヲ為》のように半音階進行で曲想に変化をつけています。
 このように、押し手の手法はやや多くなりますが、演奏中に調絃替えをすることなく転調した巧みなアレンジが秀逸です。
 素朴な「こきりこ節」を、人目を惹く擬音奏法やリズムのアレンジばかりでなく、緻密に計算された転調で曲想を変化させていることが、この曲の魅力の所以と言えるでしょう。

 

「深山の春」(みやまのはる)

冬ごもり 春さりくれば 
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 
咲かざりし 花も咲けれど・・・

 万葉集巻一(十六)額田王の歌の冒頭を題材に、春の木曽路を訪ねたときの印象をまとめ、1974年「深山路」として発表、のちに内容を一部増補して「深山の春」と改題したものです。
 心もうきうきするような高音箏の軽妙酒脱な装飾音、力強い春の足音を響かせる低音箏のリズム、さまざまな技巧音を駆使しながらも伝統的な奏法を生かした尺八、これらが一体となって、万葉の歌のような情景を彷彿させる、春の深山の雰囲気を快活に描きあげたものです。

「深山の春」では、冒頭で、前述の「こきりこ陽旋音階」が使われているのですが、曲が進むにつれ、
《ヲ五》《ヲ六》《ヲ七》《ヲ八》《ヲ九》などの押し手が多用され、
《五 ヲ五 七 八 ヲ八 十》平調子
《七 ヲ七 九 十 ヲ十 為》雲井調子
《九 ヲ九 斗 為 ヲ為》岩戸調子
《六 ヲ六 ヲ八 九 ヲ九 斗》曙調子
というように、調性の違う陰旋音階に転調して変化をつけています。短いフレーズの間に変化する部分もありますので、音階の違いを意識して、山の奥に分け入って行く景色の変化を弾き分けてください。
陽旋音階から陰旋音階に転じるために、この半音の押し手では、半音の幅を控えめにすると陰旋音階らしさが出て、明るい音階から転じた効果が出ます。
 
 音階や楽理と言われると苦手、という方でも何となく曲想が違うことは、感覚的に感じていらっしゃるのではないでしょうか。これを機会に、ぜひ「教養のための箏の常識と楽理のお話」に目を通して、音感を養うために理論も学んで演奏力を磨いていただきたいと思います。

 

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