心よりご冥福をお祈りいたします ~うたまくら347号より - 正絃社

心よりご冥福をお祈りいたします ~うたまくら347号より

心よりご冥福をお祈りいたします

 

稲部久美子さん

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 昨夏に体調を崩され闘病中のところ、令和6年6月29日ご逝去されました。
 長く正絃社本部に勤務され、細かなことにも気を配って采配される活発な人柄でした。地域の文化祭などへの参加や高校箏曲部の指導など、熱心に邦楽の普及に努められ、これからのご活躍が期待されました。早すぎる旅立ちが残念でたまりません。
 心よりお悔み申し上げるとともにご冥福をお祈りいたします。

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坂本時子さん

 先々号で訃報を掲載した故・木村美枝子大師範のご母堂であり、故・山田かな子大師範の師匠の坂本時子大師範が6月6日午前9時33分、ご逝去されていました。(享年93歳)
 習い事を始めるとよいとされる6月6日に倍数の数字を並べたようで印象的な命日でした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。

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右端・坂本時子さん(シドニー公演にて)

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稲部久美子さんを偲んで  鈴 川 悦 代

 その悲報を聞いたのは 昨年の秋風が吹き始めた頃でした。
 久美ちゃんが大変な病気になってしまったと・・・
 え〜まさかそんな。
 でもあの久美ちゃんが病気に負けるわけない きっと良くなる と信じてました。
 長年勤めてみえた新栄本部教室も退職されお会いすることがなくなりさみしく思っている頃 祐子家元から久美ちゃんが数年前から指導に行っている多治見西高箏曲部を引き継いでくれないかしら とお話しをいただきました。
 遠いので少し迷いましたが今までも高校部活の指導 縁がなかったけれどやってみたいという気持ちはありましたので 久美ちゃんがしっかり療養して元気になるまで とお引き受けしました
 引き継ぎ前に一度見学させていただいたのですが県大会前ということもあり生徒たちの演奏はもちろん久美ちゃんの指導もとても熱気あるものでした。
 「褒めないでね」とクギを刺されてましたが つい「素晴らしいです。と言葉が出てました。
 そして県大会当日 私は地元でイベントがあり行けなかったのですが 夕方久美ちゃんから「全国大会の切符取ったよ~」と連絡が入りました。
 翌日には来年の全国大会が地元開催でプレ大会があるというのでお祝いがてら そちらでの演奏を聴きに駆けつけました。
 終わって久美ちゃんと食事をした際に 病気のこと これからの治療のことなど話してくれるんですが 笑顔で勢いよく話す様子は今までとぜんぜん変わりません
 そして「来年の全国大会には絶対行きたいからそれまでは頑張って生きたい」ということも
 そしてその時に「自分の楽器を譲りたい」という話もするので私は「何言ってるの治って復活するんだからそんなこと言ったらダメだよ」と
 でも久美ちゃんは黙って笑ってるだけ。
 その後も部活指導の件でいろいろお聞きすることがあるので何度かランチしたのですがいつも笑顔で薬のせいでつらい症状があるようでしたが 一度も泣き言や愚痴を聞いたことがありません。
 少しずつ私も「ああ久美ちゃんはもうちゃんと覚悟してるんだ」と感じるようになりました。
 ある時「治すこと諦めないで」と言ったことがあるのですがその時に久美ちゃんから出た言葉は
「やりたいことやりきったから悔いはない」でした。
 なんと潔い言葉 本当に芯の強い人だな と感じ入り この久美ちゃんのために私は何ができるだろうかと 考えました。
 基本的には死ぬということは不幸でも悲しいことでもない と思っているのですが 人は百%死ぬわけですから。
 でも久美ちゃんと二度と会えなくなると思うと悲しくてもっと久美ちゃんのことわかりたい 想い出も作りたいという思いが湧いてきました。
そしてそうだ少しでも元気なうちに旅行をしようと思いたち伝えました。
そうしたら「プロポーズ受けたくらい嬉しい‼」 と喜んでくれて 私も嬉しかったです。
それで投薬のスケジュールの合間をぬって出かけることに
一月でしたので少しでも暖かいところへと南紀白浜と鳥羽に行くことにしました 自分にとっても贅沢な旅になりました。
体調も気になってたのですが二泊三日ともとてもお元気で 食事もほとんど平らげて私も美味しくお酒をいただいて・・・

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右・稲部さん 左・鈴川さん


 立ち寄ったビソンという観光地でもいっぱい歩けたしとにかく久美ちゃんに喜んでもらえて最後まで楽しい旅でした。
 その後は全国大会目指して練習中の部活にも2度ほど喝を入れに来てもらいましたが 本当に闘病中の人? というくらい活き活きと大きな声で指導してくれました。
生徒たちも一段と気持ちが引き締まったようです。
 そして5月には多治見市文化祭で社中の皆さんと三絃二重奏「THE KOKIRIKO」を演奏 細かく速いリズムの曲ですが見事な演奏でした これが久美ちゃん最後の演奏になりました。

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多治見文化祭にて中央・稲部さん


 そしてその翌週には西高の生徒たちの演奏 この頃はもう 少しずつ体力も落ちていてしんどそうでしたが 前日のリハーサルと当日と二日間とも来てアドバイスしてくれました。
 その後の公民館コンサート そして全国大会には車イスでも聴きに行くからと娘さんにも予定を空けておくように伝えていたそうですが それも叶わず6月28日にとうとう旅立っていかれました。
 亡くなる一週間前にお見舞いに伺ったときも 「全国大会には行きたかったのにね 行けないわーエヘヘ」とまるで何か他の予定が入ってしまって行けなくなったみたいな言い方で。
 本当に最後の最後まで強い人でした。
 そして全身全霊で箏曲部に情熱と愛情を注いでいらっしゃいました。
 楽器も全部 お弟子さんや箏曲部そして私にまで渡るように準備して着物も旅立ちの時に着せてもらう一着を残し全部片付けたご様子をご家族から聞くにつけ お箏に関することにはお金も時間も惜しまずかけてきたんだなということがよくわかりました 同時にあれだけ気丈にして見えたけど どんな思いで手放されたんだろうと思うと胸が締め付けられて 久美ちゃんを抱きしめて号泣してしまいました。
そんな時でも久美ちゃんはむしろ私を慰めるかのように「うんうん」と私の背中をポンポンしてくれました
 元気に復帰してほしいというのが一番の願いでしたが叶いませんでした。
 本当に残念です。
 今は西高箏曲部県大会出場を目指して頑張っています。
 「これからはいつでも天から稲部先生は見守ってくださってますからね」と生徒たちにも自分にも言い聞かせて・・・
 指導に行くたびに生徒たちからパワーを貰えて。
 こんな時間を与えてくださったことに心から感謝しています。
 そして今 私は 12月にコンサートを計画しています 久美ちゃんから楽器を譲り受けるときに「ぜひリサイタルやってね」の言葉が響いたことと 箏曲部では 未経験で入部してわずか2~3ヶ月でこんなに上達するんだと生徒の頑張りに触発されたのです 私も「もっともっと頑張らなくちゃ」と高校生に人気で今まで弾いたことのない曲を中心に選曲しました 友だちのギタリストとのコラボもあります。
 お時間ありましたらぜひお出かけくださいませ。

《鈴川悦代 箏リサイタル》
~未来(あした)に花咲くコンサート~ 
日時:令和6年12月22日㈰13:30開演
            (13:00開場)
会場: 永正寺 本堂 (駐車場有り)
   愛知県江南市高屋町中屋舗46
入場料:2500円 (当日3000円)
ということで久美ちゃんとの想い出を書き記しつつ 自分のコンサートのお知らせもさせていただきました
久美ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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右より稲部・鈴川・家元

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