桃李の郷 - 正絃社

桃李の郷

【2000年 野村正峰作曲】

日本では故事、ことわざというと、中国の古典にそのみなもとを発しているものが多いのですが、『とうり桃李』(もも・すもも)という、これは果物の名ではありますが、漢文好みの知識階級に好まれてきた字句があります。

『桃李門に満つ』というと優秀な門下生がたくさんいることのたとえで、これは中国の春秋時代[BC770~403]からの文献にしばしば見られます。また『桃李もの言わざれども下おのずから蹊(けい・こみち)を成す』(史記)という諺は、徳望のある人はみずから求めなくても、人々が慕いよってくることのたとえです。

この曲の作曲意図は、これらの故事を踏まえたものであることは言うまでもありませんが、具体的には、万葉歌人でしかも当時隋一の知識人でもあった大伴家持の歌

   春のその苑  くれない紅にほふ桃の花 下で照る道に 出で立つをとめ (万葉集4139)
   我が園の すもも李の花が庭に散る はだれの未だ残りたるかも  ( 同 4140)

に触発され、さらには中国の文人陶淵明(とうえんめい)[365~427]の名文『桃花源記』にしょうよう慫慂されたものであります。
作曲は当初『桃花譜』として発表したものですが、ユートピア、すなわち戦乱のない平和郷を意味する桃源の意味を、近来の日本人は極めて低俗な意味に解釈するのが面白くなく、あえて古文献をふまえた曲名の撰に改めたものです。

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