お知らせ - 正絃社

名古屋市民芸術祭賞 ~うたまくら321号より 

名古屋市民芸術祭賞

 伝統芸能部門
   箏曲正絃社 野村正峰生誕90周年記念 〝創造〟のDNA―和楽の響き 

(講評)
 高いレベルの演奏技術に裏打ちされた圧巻の合奏に加え、野村正峰氏の業績を正しく受け継ぎ、さらに新しい曲を披露するなど、野村家親子三代のストーリーとして仕上げ、よく練られた舞台をつくり上げた。滑らかな進行とともに、わかりやすい構成で観客を飽きさせず、誰もが最後まで楽しめる上質な演奏会であった。

u022  受賞者一同

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【野村正峰生誕90周年記念〝創造〟のDNA―和楽の響き】をあらためて振り返り、出演会員一同が心一つに創り上げた舞台を誇りに思います。皆様のご協力に深く、感謝いたします。
熱演の舞台を、再度、掲載いたします。

u025  春景八章①

u024 春景八章②

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u015 緑①

u016 緑②

u017 緑③

u018 緑④

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u045 鵬よ①

u046 鵬よ②

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u037

刀田の伽藍 

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u041 白銀の神殿①

u042 白銀の神殿②

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u034 千代の華①

u035 千代の華②

u036 千代の華③

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なお、プログラムへ寄稿いただいた方々のなかで、邦楽ジャーナル編集長・田中隆文様の文章には、紙面の都合によりプログラムから割愛した部分がございました。ご本人のお許しを得て、ここに、次のとおり全文を掲載させていただきます。

 

日本の伝統音楽への愛
             田中隆文

 正絃社の邦楽界に果たした役割は、なんといっても箏曲の大衆化にあると思う。
 邦楽ジャーナルで「大衆と邦楽」という特集を組んだことがある。当然のこととして正峰氏に原稿を依頼した。返ってきた二千字の原稿は、出版社の存立条件の話を持ち出し、実に内容の濃いものだった。全文を読んでいただきたいところだが、前半を要約するとこうなる。
 「純文学と大衆文学、音楽の芸術性と大衆性、どちらも同じで、それは出版という媒体によって伝達される。出版は営利事業だ。社会のために採算性を無視してでも芸術性の高いものを出版するとすれば、大衆性のある出版物を併せ持ってそれを支えるだけの自信がなければならない」
 正峰氏は、そもそも芸術性と大衆性の線引きはどこにあるのか、また、「編集者は何故私にこのような一文を期待したのか」と迫る。ドキリとした。
 「大衆に受けるからといって芸術性が低いわけではない。芸術性が高いと作者が自負し評論家が激賞しても、大衆がそれを理解し受け入れるとは限らない。単なる流行歌謡が数百年の後に高度な芸術音楽になっていることだってある」
 まさに、正論だ。正峰氏はその上で自身の大衆性を認め、こう言い切った。
 「私の作品を愛してくださるかたは、私の中にある、日本の伝統音楽への愛”に感づいている。それを人が大衆性というならそれもよし。大衆性を離れて私の音楽は存在し得ない」
 この文章は一九八九年に書かれたものだ。その2年前に正峰氏は還暦を迎えられたが心筋梗塞で倒れられ、大手術を行っている。ちなみに一九八七年は邦楽ジャーナルの創刊年だ。
 二〇〇九年に名古屋のご自宅で取材させていただいた。チラシにあるやさしい眼差しのお顔はおそらくその時のものだ。そこで語られたのは戦争、そして敗戦で苦労を重ねて行き着いた人に対する愛、日本音楽への愛だった。それが正絃社気質に繋がっている。
 
u048

「楽しんでもらうことが大事。そうすればお客さんも増え、箏曲人口も増える」
 楽しんでもらうために正峰氏が考え、実践したことは山のようにある。記者が聞いただけでもこれだけある。正峰氏の言葉とともに列記してみる。

1、楽譜を自ら出版する。
「他に頼むと売れないものは出さない。でも、残しておきたい曲もある」

2、著作権使用料を発生させない。
「負担を少なくして多くの人に楽しんでもらいたい」

3、文部省唱歌を編曲する。
「手ほどきの曲はみんなが知っている曲が良い。曲の性質を見極めて工夫することが大事」

4、作品体系を増やす。
「小曲から中級、上級へとメソッドを追っていけるように」

5、演奏者を満足させる。
「どのパートを演奏しても楽しめる。家庭音楽である箏曲の原点を大切にしたい」

6、声高らかに歌う作品を作る。
「日本音楽は歴史文学と関わりをもって発達してきた。器楽だけで良いのか」

7、演奏会で幕間をなくす。
「回転舞台を利用した作品を作ったり、同じ調絃で曲想の違う曲(調性を変える)が弾けるようにする」

8、百面以上の箏を正絃社で保持する。
「楽器店に借りなくても済むし個人の箏だと他に回せない。弟子に負担はかけたくない」

9、門人をむさぼるなかれ。
「人を教えようと思ったら率先垂範、まずは自分がやってみせること」

 このスピリッツは子ども達三姉妹に受け継がれた。現家元の祐子氏の作品には父の面影を見て取れるが、氏を取材した1年前に、このようなことを話された。
 「感動はプロしか与えられないものではなく、ごく普通の人でもできる。それは自分の気持ちを、楽器を通じて相手に伝えること。そんな楽しさを知れば、稽古も楽しくなるし、励みにもなる」
 まさに正絃社スピリッツだ。作品を作って流布することだけが大衆化に繋がるものではない。その基にある精神こそ大事で、それを受け継ぐ正絃社ファミリーは素敵だ。
 正峰氏は言う。「誇れることは、他をあてにせず、自分の力でやった、家族みんなが力をあわせてやったということ」

 本日は野村正峰生誕90周年記念コンサートの開催、まことにおめでとうございます。正絃社のDNAが末長く続き、邦楽界を活性化されんことを祈っています。
 (邦楽ジャーナル編集長) 

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