岐山頌 - 正絃社

岐山頌

【1998年 野村正峰作曲】

中国の古代史をひもとくと、尭(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)という伝説の帝王があり、ついで実在の確認された国として、夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)という王朝があいつぎます。
いずれの王朝も末期には暴君はいて国が乱れ、つぎの王朝にとってかわられるという歴史が残されていますが、それはつぎの時代になってから歴史が書かれているからで、滅んだ王朝が必ずしも悪であったわけではありません。ともかく周が殷(いん)王朝を倒したのは紀元前1066年、殷(いん)はそれまで300年も続いた大帝国で、近年甲骨文字や青銅器の発掘で大きな文化の一端が明らかになりました。

周は西安の北の岐山という辺鄙(へんぴ)な地に発祥しました。周王朝の先祖は、周囲の蛮族と争うのを避け、彼らの望むものを与えて辺境に移ったところ、民はかえって、君主の徳を慕って集まり、次第に強大な国になりました。 殷(いん)は宗主国ともいうべき王朝であり、周が強大になるのをおそれ、不当に残虐な圧力を加えました。周の君臣は長い忍従の年月ののち、殷(いん)の都、朝歌(ちょうか)に攻め入り暴君の紂王(ちゅうおう)を滅ぼし、新しい王朝の樹立に成功しました。 周の建国には、孔子(こうし)が敬慕してやまなかったという周公や、釣をしていてスカウトされたとうい軍師の大公望(たいこうぼう)など、 ユニークな人材があずかっており、史記(しき)(司馬遷/しばせんの著による中国の歴史書)や論語(ろんご)(孔子の著)を学んだ中近世の日本人は、周というと聖人の国のように感じていたようです。

織田信長が、井の口といっていた町を岐阜と名づけさせたのは、 インテリ和尚の沢彦(たくげん)が、聖賢の国にあやかり岐山の阜(おか)がいいと進言したからといわれます。
歴史の好きな私は、純音楽の作曲よりは、ドラマ性のある曲を考えるほうが好きなので、岐阜=岐山、やはりユートピアを感じられるような音楽という意味で聖人が治めたという幻の国(岐山)への憧れを描いてみました。

初章と終章には雅楽の三管(篳篥/ひちりき、竜笛/りゅうてき、笙/しょう)を加えても演奏できるようにと構成しました。
雅楽がなくても、尺八だけでも演奏できます。
初章には「闌陵王/らんりょうおう」、 終章には「迦陵頻急/かりょうひんきゅう」(いずれも壱越調/いちこつちょう)の一部をそのまま演奏して合奏できるように作曲してあります。

このページのTOPへ