観音の里 - 正絃社

観音の里

【1983年 野村正峰作曲】

観音様には種類が非常に多く、馬頭観音、千手観音、十一面観音、マリア観音(徳川時代の切支丹弾圧のため信者がマリア像を観音像にカモフラージュして信仰した)など、さまざまな形の仏像が信仰されてきました。

越前から琵琶湖の北部一帯にかけても、古来十一面観音の信仰があつかったといわれます。
ことに、近年国宝に指定された湖北の渡岸寺の十一面観音は、戦国時代に織田信長が浅井氏を攻略したおり、信仰のあつい農民の手によって土の中に埋められて兵火をまぬがれたという話を聞いて、早速訪れてみました。
田園地帯のただなかにポツンと建てられた、何の変哲もない、まったくの田舎の小さなお寺に、何故こんなに立派な観音像がおかれたのかとただ不思議なことに思いました。
仏教では、観音様は、あるときは怒りの姿で、ある時は悲しみの婆で、ある時は慈悲の姿でと、人々のその時おりの心の救いになるような姿に化身して説法するといいます。
私はこの田園の中の十一面の仏の表情に、牧歌的な、わらべうた的な深い心の安らぎを感じるとともに、心の底まで見すかされるような本能的な畏怖も感じました。
宗教家でない私にはよくわかりませんが、私の感じたことを素朴な気持ちでえがいてみたいと思いました。

調性の基礎には、陰旋音階以前、すなわち八橋検校以前の箏曲の音階と、という意図で、壱越、平調、下無、黄鐘、盤渉・・・糸竹初心集(1664年頃)琴の部に見える・・・という調性を選んでみました。

これは明治新曲といわれる「嵯峨の秋」「時鳥の曲」などと同系の調性ですが、近世よりは、中世の音楽を偲ぶよすがとしてで、中世音楽の復元などという大それた意図はもっていません。
ただ観音様―わらべうたの世界が、この調性に似つかわしく感じられたからにほかならないのです。

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