熟田津 - 正絃社

熟田津

【1985年 野村正峰作曲】

6世紀の頃、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の三国が分立していました。中国は唐の時代、半島制覇を目途して三国に出兵、新羅は唐に服属すると見せかけて、唐と連合して他の二国を攻略しました。
減亡寸前の百済は日本に救援を求めたので、日本は斎明天皇七年一月(661年)百済救援軍を難波(大阪)より出帆。軍は、瀬戸内海の水路、松山の道後温泉の近くと推定される熟田津に寄港して、暫しの休息をとったものと思われます。
天皇に随従した宮廷歌人、額田女王は、ここでも秀れた歌をのこしています。

    熟田津に 舟乗りせんと 月待てば
       潮もかないぬ 今はこぎいでな   (万葉集巻1―8)

熟田津の港に寄せくる満ち潮、出動命令を待つ船団の緊迫感、月の出の情景に、私の感じた額田をオリジナルの歌として3番入れ、おわりに額田の歌を力強く歌って、船団が掛け声も高く出動する情景を描きました。

    熟田津に潮は満ち来ぬ 月高く空に昇りて
    海は凪ぎ舟は揃いぬ 防人よ いざ漕ぎ出でな
      和田の原 八十島かけて征でたちて戦せよとや
      大君の詔勅かしこみ 防人よ いざ漕ぎいでな
    君知るや 防人びとの胸に満つ熱き血潮を
    君知るや 同胞どもの待ち侘ぶる深き思いを

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