各地の活躍 ~うたまくら325号より - 正絃社

各地の活躍 ~うたまくら325号より

各地の活躍

邦楽専門実演家養成事業を受講して   廣部亜紀
 
 滋賀県立文化産業交流会館にての邦楽実演家養成事業の受講生募集で、講師として野村祐子先生が指導されていることを知り、家の近くで祐子先生に教えていただける絶好の機会と思い、単純な気持ちで申し込みました。
 そしてその結果、とても盛り沢山で充実した半年を過ごすことができました。
 受講には審査があり、幸運にもパスできました。と、入れて頂いたものの、練習が始まってみると、自分だけができないこと、理解してないことのあまりの多さに落ち込んでしまいました。受講生全体の時間が、自分のために使われてしまうのが、本当に申し訳ないことでした。けれど、ここで凹んでいては芸も能もないので、ひたすら練習するほかなく、「伸び代だけはある」と、自分に言い聞かせました。図々しさも役に立つものです(笑)
 受講曲は、1月の「長栄座」公演に箏で出演する「日本民謡による組曲」(牧野由多可作曲)。この曲では池上真吾先生の指導を受け、次の2月公演には祐子先生の指導の三絃「河童百態」(野村正峰作曲)を加え2曲ですが、毎回の講習は、とても充実しておりました。
 祐子先生は、爪の付け方から絃を移動するときの注意点、撥の持ち方、三絃の構え方の基本から音の出し方を、身体や楽器の構造をふまえた説明でとても解りやすく、教えてくださいました。ご指導頂いたことを、早速その場で実践すると、私にすら判る程に演奏の違いがはっきりと表れて、楽しくてたまりませんでした。
 曲を理解するには、楽譜の内容を読み取ること。曲の構成、作曲された当時の状況、作者の意図を捉えること等々。それは、演奏する上で当然、考えなくてはならないことなのでしょうが、恥ずかしいことに、ただ音を鳴らすことに必死な私には思いも至りませんでした。それどころか、音の長さやリズムすら、知識はあれども演奏表現には至っていませんでした。この問題は手強く、この先も注意しないといけないことだと心に強く刻んでおります。
 そして合奏の楽しさも再認識いたしました。今はどういうシーンか、何の為の音か、主旋律との関係は等々、各々が役割を理解した上で、ひとつの音楽を作り上げるなんて、楽しくない筈がない!
幸運にも、その合奏の本番は「長栄座」公演、2月公演の二度いただけたので、一度目の大きな舞台が終わってからの一か月で、自分の中に変化を感じました。「舞台の経験」という力を感じた、貴重な体験でした。

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米原文化産業交流会館「養成事業発表会」にて(左から4番目・廣部さん)

 

 今回、滋賀県文化産業交流会館での養成事業に入れて頂いたおかげで、どうやって学んでいけばよいかを知ることができました。まだまだ知識と努力で上達できそうな気配を感じ、嬉しく思います。
 そして、このたびは、正絃社本部での「春の公演」に初めて参加させて頂きます。養成事業で教えて頂いたことを生かして、しっかりと使えるように、日々練習に励んで少しでも上達を目指してまいります。
(滋賀県・二宮典子門下・助教)

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学校教育との関わり   野村祐子
 
 父母の代から長年、邦楽界に身をおく活動のおかげで、現在、いくつかの大学での授業や高校学校の箏曲部に関わって、私自身もいろいろなことを学びながら指導しており、このような機会をいただけることをたいへん有難く思います。
 現在、音楽大学では和楽器が必修授業となっています。半年の週間授業、3日間の集中講義など大学によって授業形態は異なりますが、それまで西洋音楽ばかり学んできた学生たちが、日本の伝統音楽に触れる貴重な機会です。いかに日本の学校教育が日本の伝統音楽を置き去りにしてきたかを感じるものですが、洋の東西が違っても音楽を愛する心は同じです。伝統楽器を音楽として楽しみ、邦楽を通じて日本の伝統文化への関心を高めて、日本の良さを再認識できるよう努めて授業をしています。
 このように邦楽が見直されるようになった契機を振り返りますと、義務教育に和楽器が導入された2002年の文科省学習指導要領が、いちばんの大きな影響であると思います。
 とはいえ、それ以前から高校の箏曲部などの活動はありました。
 愛知県では、昭和62年の全国高等学校総合文化祭の開催に際して、愛知県高等学校文化連盟(略して愛知県高文連)が結成され、日本音楽部門大会の運営に協力させていただきました。
愛知県高文連では、当時、十数校の箏曲部の顧問の先生方が連携して、舞台の転換効率のよい回り舞台のあ る名古屋市民会館を確保し、全国大会を成功させました。準備から演奏後の退去まで分刻みのスケジュールは、現在の大会でも変わらない厳密なもので、裏でのお手伝いさせていただいた私たちもピリピリと緊張感を味わったものでした。

 以後、県内外の発表会の審査や顧問の先生方の研修会にも関わりましたが、現在では、愛知県高文連は全国的にも非常に高いレベルとなりました。ここまでに成長したのも、その当時、土台作りに奔走された先生方のおかげと、お顔が思い起こされます。

 愛知県高文連の、その当時の箏曲部顧問の先生方には箏の心得がある、あるいは興味があるなどから顧問を引き受けられている場合が多く、箏を通じての生徒との触れ合いを大切にされていました。しかし、激務のため学校教師の働き方改革が叫ばれる昨今は、部活の時間も減らしていく方針のようで、生徒とのんびり箏を楽しむ様子ではないようです。

 また数年前から滋賀県で開催の全国大会のため、滋賀県の高校合同チームの指導をさせていただきました。練習開始の初日には合同チーム結成式、最後には解散式を行い、生徒代表の挨拶とともに記念の寄せ書きをいただきました。チームの代表として、きちんと挨拶する生徒、ひとりひとりのメッセージに、その成長ぶりが嬉しく、密かに涙を流しています。このように生徒を指導される先生方にも感服するばかりで、部活動は大切な学校教育の一環であると思います。生徒とともに私も学ぶことの多いプロジェクトで、学校の中だけでは学べない、情操教育の大切さを感じました。

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「生徒のメッセージに感激」

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「気分は高校生!」

 

 また今年は、三重県高文連からも合同の講習の依頼を受けました。講習会場は格式あるお寺の大広間で、そこに一〇〇名を越す生徒がびっしりと並んでの合奏は迫力があり、若さのパワーに圧倒されました。
 学校関係での指導にあたって、私がとくに気をつけていることは、特定の流派に偏らないことで、手法なども各校でのそれぞれの指導に、よりプラスになるよう苦心しています。

 高校以外に小中学校の箏曲コンクールの審査にも長年、関わりましたが、どのような場での講評でも留意してきたことは、上位に選ばれなかった人たちへの励ましのアドバイスです。どこが悪かったのか、どのように直したらよいのか、もっと感動のある演奏にするための工夫、次の機会への意欲を持ってもらうための助言を心掛けてきました。

 音楽は豊かな心から生まれるものなので、コンクールでの上位を目指すための演奏ではなく、感動を伝える演奏でありたいと思います。コンクールを目標にして技量を磨き、より優れた演奏を目指すことも必要ですが、一方では、音楽は競争するのではなく、合奏の楽しさを味わい、その演奏を聴いた人たちの心を和ませ、喜ばれる演奏であってほしいと願っています。
 長い人生から見ますと高校生活は僅かな期間です。音楽から学ぶことは多く、箏が、その数年間での楽しい思い出の一コマになってくれたらいいなと思います。
 実際に、高校時代の箏曲部での楽しさからお稽古を継続して、現在、正絃社の幹部として活躍している会員も少なくありません。
「勉強は嫌いだったけど、箏曲部が楽しくて学校へ行きました(笑)」と言う方もあります。
高校生たちが箏曲の部活を機に日本の伝統文化への興味を深め、音楽の楽しさを理解する人材に育ってほしいと願っています。

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