思い出~深海さとみ先生を偲んで~エイチと叡智 - 正絃社

思い出~深海さとみ先生を偲んで~エイチと叡智

思い出~深海さとみ先生を偲んで~ 
エイチと叡智             野 村 哲 子

 『演奏をするために大切なエイチから始まる身体の中にあるモノ、それは何でしょうか?』
 深海先生が仰いました。さて何でしょう?
 例えばハンド(技術)、ハート(心)、楽譜を読み取り演奏をするためには技術が必要です。
 しかし技術だけで良いならAIのほうがむしろ確実でしょう。心を込めて演奏しても技術が伴わなければ表現の幅が狭まれてしまいます。 
 作曲者に替わって作品を伝えるには、その意図を分析するためのヘッド(頭脳)や演奏するための健康な肉体(ヘルス)など、なるほどエイチの調和によって、あのすばらしい舞台パフォーマンスが構成されていたのですね。六つあるそうです。
 深海さとみ先生の演奏を初めて鑑賞したのは約四十年前。その後、ご縁があって飲み会などでご一緒させていただく機会が増えました。

 UTA347 omoide 01

 演奏でのお付き合いは四半世紀前あたりでしょうか。
 二十世紀の終わり頃、《当世一流、第一線で活躍する演奏者による演奏で、父・正峰の作品集を三集だけCD録音する》という企画を進めていました。中でも、ビクター社の黒河内ディレクターのこだわりの一曲「夏草の賦」は、合奏に対しての独奏でなければ、ということで第一箏を深海先生と私、第二箏は祐子、倫子で演奏することになったのです。
 この録音は、忙しい先生方(石垣清美・三橋貴風・石垣征山・難波竹山・中井猛各氏)の日程調整ができた段階で、ほぼ完成したような印象でしたので、箏が苦手な私は「音無しの構えでいこう」と考えていたのですが、深海先生が求められたのは完璧なシンクロ演奏でした。
 指の使い方、転調のタイミング、奏法の細かい部分までタイミングを合わせるための特別レッスンをしてくださり、二度にわたる演奏者全員での合奏練習では、再構築に向けての様々な意見交換(飲み会)があり、録音し終えた後のビールは格別でした。

 UTA347 omoide 02

左側の哲子より峰山・深海さとみ・石垣清美・中井猛・黒河内茂・三橋貴風・石垣征山各氏)


 このCD制作がきっかけとなり、姉とは演奏の機会が増えたように思います。そして舞台リハーサルは必ず客席で録音をして、楽屋で音のバランスをチェックしておられました。
 三絃の音は駒の位置で音の硬さに違いが出ます。合奏相手との調和、客席に人が座ればホールの残響は変わりますので、そこを考えてミリ単位の調整をなさっていました。
 舞台に上がる寸前まで調絃の調整をし、転調やハーモニクスの印も付け直すという濃やかな配慮の結果の演奏を聴いた父は、
「双調七章は、こんなふうに演奏して欲しかったんだ」
と大いに喜び、母は、
「宮城会を代表する演奏家とうちの娘が、リサイタルで瀬音を演奏する時代が来るなんて」
と、感慨深げでした。
 その「瀬音」や「落葉の踊り」「砧」を、『春の公演』や『東北正絃社公演』で、先生と一緒に皆で演奏できるなんて、という夢の舞台が実現したのは二十年前あたりのことでしょうか。

 UTA347 omoide 03

東北正絃社公演の打ち上げにて

 一矢乱れぬ合奏群となるための講習会では、尻込みや月食の座り位置が許されず、全て白日の元にさらされての特訓、動作の全てに統一感が求められました。お稽古の時は厳しくても楽しく、みんなで一緒に食事をし、温泉に入りの合宿からの感動の舞台でした。
 深海先生は指先を守るために、お料理を一切されなかったのですが、朝食バイキン グでお皿に彩りよく美しく盛り合わせていらしたので、もしも料理家の道を進まれたとしても、一流であったに違いないなと思いました。
 その時にご一緒した門人のことをよく覚えてくださって、お会いすれば気軽にお声をかけていただき、また折に触れて、
「石巻の人たち、みんな元気にしてるの?」などと気にかけてくださいました。
 そんな愛情ふかい深海さとみ先生のレッスンを一度でよいから受けてみたい、と、当時、芸大附属高校生だった吉越大誠くんに相談されました。
 この世界の常識として《一見さんの個人レッスン》はあり得ません。深海先生と話し合った結果、先々の大学受験を見据えたレッスンを始めることになりました。
 その必須条件は、指導方針を統一するための師匠(私)の付き添い。大変というよりは飲みに伺っていたようなものでしたが、人を育てるって、こんなに真剣なことなんだと、感じました。今年の夏のコンクールでの一位入賞で、少しは御恩返しできたように思います。

 UTA347 omoide 04

深海先生のレッスン

 UTA347 omoide 05

吉越大誠さんの一位入賞


 余命幾許もない頃、お電話をいただき、お見舞いに伺ってきました。
「祐子ちゃんは元気?峰山さんは?」
といつものように、そして、
「秀子ママはいくつになったの?」
など訊ねられ、昔話から今年二月の「現代邦楽作曲家連盟作品発表会」の演奏のことまで話題は尽きることがなく、
「揚げ物が食べたい」
と、おっしゃっていらっしゃいました。
「あれ?そんなにお好きでしたか? 記憶にないのですが・・・。」
 姉のことを妹のように可愛がってくださった先生、まさかお花のそばに唐揚げを入れるわけにもいかないので、揚げ物を食べる時には先生のことを思い出していただくことにします。
また会いたいな。
「六つの叡智」とたくさんの思い出をくださった深海さとみ先生に心から感謝します。

 UTA347 omoide 06

2002年「春の公演」にて前列右・深海先生

このページのTOPへ