土井澄子
正絃社四十五周年を顧みて
土井 澄子
私の箏入門は、昭和35年4月。
きっかけは昭和34年、世間では皇太子様の御成婚で沸いている時、私は病気で一年間の休学。当時はそれがとても悲しくて運命を呪ったものでした。 五ヶ月ほどは家と病院が自分の居場所、人生にはどんな場合でも年令に合った居場所が大事だなあと痛感。この時期を無駄にせず、何年か先にはこれが幸いした 人生にしようと心に誓いました。それには、何か人と違った習い事を、と決め、書道、ピアノ、箏、この三つにしぼり、その中から音色の好きな箏を選びまし た。
さて、どこの教室にと迷っている時、バスの中から見えたのが『野村秀子箏曲教室』の看板。復学したらこの教室にと決め、翌35年5月、勇気を出して申し込みに。ドキドキしながらドアを開けると、とても美しい先生が、
「はい、どうぞ、どうぞ」。
やさしい声の秀子先生でした。
3ヶ月位した頃、稽古に行きますと、秀子先生は見えず、男の先生が「文芸春秋」を片手に
「今日は、僕が代稽古に来ました。」
それが正峰先生との出会いでした。
その頃は舞台が多く、お弾き初め、ゆかた会、春の公演、秋の公演と、三百六十五日、お稽古でした。
若き日の秀子
昭和39年には正峰先生の処女作『長城の賦』ができました。「僕が、長年温めていた曲なのだ。」と言われた力作で、いろいろな場所で演奏させていただきました。
その年の12月頃、秀子先生から昭和40年をもって『野村箏曲教室』から『正絃社』と改名し、正峰先生が家元になりますと、聞かされました。家元 制度も何も解らず、ただうなずいたことを覚えています。その後、お二人の先生は作品を次々と出され、また、カセット、レコード、講習会にと精力的に動かれ ました。正絃社は、めざましく発展。一方の私は、育児休暇。
私が子育てから戻ってきた頃には、全国各地に会員が増加、多勢の先生方で膨らんでいました。その中でも私のカムバックを喜んで受け入れてくださったのは、 正峰先生、秀子先生のお陰です。数年して、幹部会会長を引き受けることになり、十年間、とても楽しく、合宿、運動会、ゲーム、25周年祝賀会と、夢中で やってきました。
いつも先生は、
「幹部会の目的は親睦だから、皆、仲良くやろう」と言われ、
「世界に広げよう正絃社の輪」の掛け声に頑張ったものです。
そんな頃、東北の演奏会に行くことになり、正峰先生は、「土井さんは、いつも行って帰るだけで、どこも見学していないので可哀想だ」と青葉城と松 島の観光へ。青葉城では「こちらに来て、これを読んでごらん」…、島崎藤村の歌詩「宮城野」でした。「宮城野」の歌がここに書かれていたのかと、とても嬉 しく、感激でした。
若き日の正峰
ある時、正峰先生に、
「先生は、どうしてこんなに多くの素晴らしい作曲が出来るの?」とお尋ねすると、
「あのなぁ、四十代後半から五十代の頃は、どこに行っても、何を見ても面白い位、次々曲が浮かんできたんだ。だけど今は、どこに行っても観光地化されて、感動が薄れてきたので、つまらないよなぁ。」
やはり作曲は、自然に心が動かされないといい曲が生まれないのだなぁと思いました。それでも先生の作曲活動は精力的で、私たちの心を動かしたのです。
万葉集に寄せる曲が多く出来た頃は「額田王」という本を貸して下さり、「ぼくが感動したのは『人は皆、心がある』という事なのだ」と。
「北の古都」という曲が出来た時には、
「あのなぁ、僕は、この曲を作るのに七十冊の本を読んだよ」と。
すごいなぁと思うと同時に、簡単に曲の批判をしてはいけないなと反省しました。
昭和48年、「楽理」の本が出版された時、秀子先生がおっしゃったのは、
幹部会で司会をする
土井澄子
「私がお箏をはじめたころは戦時中で、畑をやられたり、逃げる訓練をしたりで、音楽の理論なんて全然知らなかったの。だけど、正峰先生に理論を教えて頂い たのがきっかけで、自分でも音楽通論なんか読みあさっているうちに邦楽の理論を書いた本がほとんどないのに気がついて、じゃあ、思い切ってまとめてみよう と。・・・振り返ってみると、二十年ぐらいこんなことにかかわってきたみたいね。」
何の世界でも十年は頑張るといいと言いますが、二十年と聞いて、先生のすごさ、真似の出来ない能力を感じ、簡単に読んではいけないと思って必死で勉強しました。音階の動きがすぐ分かるようになったのは、この言葉のお陰です。
私は、この二十年ずっと、家元の自宅で、先生のお考えや、秀子先生のお仕事ぶりや楽譜の段取りなど拝見してきました。正絃社も二代家元に受け継がれて、三姉妹が立派に成長され、喜ばしいことです。私にとって正絃社は、親の次に長い付き合いになりました。
あの時休学しなかったら…、あの時看板を見なかったら…、正絃社四十五年に立ち会うことはなかった。
「出会いは人の人生も変えるんだなぁ」と、つくづく思います。
正絃社の増々の発展を願い、会員として年を重ねた意義を胸に、これからも頑張って行きたいと思います。
(正絃社参与)