曲目解説(か行) - 正絃社

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曲目解説(か行)

回転木馬(かいてんもくば)/野村正峰作曲

遊園地の回転木馬のまわりでの、さまざまな音と光の交錯、戯れ遊ぶ子供たちの情景を、箏の美しい旋律と十七絃の躍動的なリズムで楽しくえがきます。また、 夜も更けて子供たちが帰ったあと、騎手のいなくなった木馬の情景を想像した、孤独感のこもった哀愁のあるメロディの一章も挿入しながら、木馬はいよいよ回 転の速度をはやめてゆきます。
箏曲にも、聴いて鑑賞するだけでなく、見て楽しむという要素を加味した分野があってもよいのではないかと、舞台演出の効果も考慮して作られた作品です。演奏する人も聴く人もたのしさいっぱいという曲です。

1974年作曲

篝火(かがりび)/野村正峰作曲

SF小説の好きな私は、原始時代にタイムスリップした夢を見ました。そこで人類が火を発見したその日から文明への道を気の遠くなるような時間をか けて歩み始めるのを見ました。EXPO‘70、大阪での万国博覧会開催を祝い、人類の明日への希望をこめての作品です。原作はフルートのために書いたの で、尺八での演秦にはやや高度のテクニックが必要です。

かぐや姫の帰還(かぐやひめのきかん)野村正峰作曲

昔の少年少女は、かぐや姫の物語として、おおむね読物から話のあらすじを把握していました。文学系の大学へ進んで物語の生成課程を学ぶ人は、竹取 りの翁の名が万葉集の時代にすでにデピューし、平安、鎌倉、南北朝の時代へと、作者不明のまま内容そのものが成長かつ変化してきたのを知るはずです。
今の子供たち、時にはおとなまでもが、劇画のアニメで、いとも簡単に物語の知識を得ることができます。それよりも、今は月どころか、惑星にまで探 査船が飛び、その映像までがリアルタイムで見られる時代。こういう物語には夢をもたなくなりました。もとの竹取物語が成長変化してきたように、月ではな い、字宙時代の竹取物語に書き換えないといけないようです。
それはともかく、物語の登場人物で、かぐや姫に求婚する五人の貴公子は、いずれも歴史上の実在人物に擬することができ、いずれも壬申の乱で天武側 についた功臣ばかり。これは、物語が天智系の皇統に復帰した恒武朝以後に成立したからだといわれますが、天武系の持統から祢徳の時代の政治体制に対する、 かなりの皮肉も物語の中には感じられます。
物語の紆余曲折は文学だから面白くなければいけないとしても、かぐや姫が天に帰還するにあたり、汚穢の世のことを忘れる薬を口にしながらも、な お、深い愛を捧げたもうたミカドに、天人の目を盗んで抜き取った不死の薬を託し、 ミカドもまた薬を受けとりつつも、かぐや姫のいない現世に絶望し、その薬を天に最も近い、最高の山である富士の山頂で焼き捨てさせる、という筋書きがたま らをくいいですね。(富士は江戸時代の中ごろまでは活火山でした)

岳陽楼にのぼりて(がくようろうにのぼりて)/野村祐子作曲

岳陽楼とは、中国の中部にある、洞庭湖という大湖の北岸、岳陽という街の効外に湖をのぞんで建てられた高楼の名です。この楼ははじめは三国志の時代 (220~265)、呉の水軍の訓練のために築かれたといわれていますが、その後いくたびもの改修を経て、現存するものは清の同治6年(1867)の再建 になるものです。
この地は名だたる景勝の地であり、唐詩選の中にも孟浩然の「望洞庭湖」、杜甫の「登岳陽楼」などの名詩が歌われ、古くから日本にも紹介されています。
日本の後楽園の撰名のもととなった、宋時代の忠臣、氾文正の「岳陽楼記」・・・「天下の憂いに先だちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(為政者の心がけを述べた名文)も楼内に掲げられています。また、洞庭湖には日本の浦島太郎の伝説とそっくりの話も伝えられています。
前おきが長くなりましたが、 この曲は作曲者がこの地を訪れての印象を述べたもので、このような歴史の重さも承知したうえで綴られたものでしょう。それはともかくとして中国風な五音階、舟歌風な4分の8拍子、中国音楽特有の緩急、なかなかつぼどころと心得た作品です。
模糊とした湖の遠景、釣り舟も眠る長閑な晩春の湖畔、伝説の湖中の島「君山」は霞に包まれ、連絡船も繋がれたまま動く気配がありません。そんな光景を想像 してください。また、遥かなる昔、戦乱をのがれて、ここで舟上生活をしたという杜甫や、一度の舟遊びで五篇の詩を作ったという大酒呑みの李白の見たのも、 きっとこんな光景ではなかったでしょうか。

風薫る(かぜかおる)/野村祐子作曲

爽やかな初夏、風が衣がえをしたばかりの乙女達の清々しい香りを運んできます。夢・希望・ロマンへの憧れ、楽しい語らいの声、若い日の思い出の数々を箏の音によせて・・・・

かすみ草の詩く(かすみそうのうた)/野村祐子作曲

北海道富良野はラベンダー畑で有名ですが、広大な平原にはラベンダーだけでなく、ひまわりやポピーなど、色とりどりの花が配色された美しい景観が 見られます。大地が花々の紫や黄色、赤などの色で染められるなか、かすみ草の群れは、その花言葉「清い心」のように、ひたすら白く清らかに咲き続けます。 五月から九月への長い時季、小枝に小さな花をちりばめて、春霞のように野に広がるかすみ草。心安らぐかすみ草の姿を、やさしい旋律の合奏に仕上げました。

(2006年2月作曲)

風の踊り子く(かぜのおどりこ)/野村祐子作曲

風に吹かれてしなやかに舞い踊るのは、可憐な花。 花を踊り子に見立てた、箏の独奏曲です。時には優しい子守歌のように、時には激しい炎を心に燃やして、愛らしく佇んでいる姿。そっと見守ってください、とささやきながら・・・。高度なテクニックの曲で、コンクールにも挑戦されています。

(1996年4月作曲)

風吹く(かぜふく)/野村峰山作曲

自然現象である風には四季折々の季節を感じる名前が付けられている。
菅原道真の歌にも有名な、梅の香を漂わせ春を告げる「東風」、初夏に青葉の梢を吹きぬける心地よい「青嵐」、秋の草木を吹き分けてとおる「野分」。この三つを選び尺八で描いてみました。

河童百態(かっぱひゃくたい)/野村正峰作曲

近世地歌で「作もの」と分類される、滑稽味のある、おどけた内容の作品群は、公式の演奏のためではなく、検校たちの遊びや即興的な座興で作られたようです。動物を凝人化して面白い物語をつくり、三絃の特殊な奏法で、動物の所作や鳴き声などの擬音を表現しています。
この「作もの」の遊び心に誘われ、架空動物の「河童」の幾つかの生態を描いてみようと意図しました。曲の編成は、三絃2部で作曲しましたが、のちの要望により尺八の手付けも加えています。
1.河童登場…河童は沼、川岸などに棲息するということになっています。
大きさは十才の児童ぐらい。頭に皿のような鉢型がついていて、ここの水が無くなると、弱ってしまうということになっています。まずは、澄ました表情でしゃなりしゃなりと登場する河童どのをご想像ください。
2.いたずら河重…河童は人間を水中に引っ張り込んで、その尻子玉を抜くとか。さて尻子玉とは何んのことか判りませんが、とにかく人間を見るといたずらがしたくなるようです。いたずらなんて「屁の河童」というわけなのです。
3.酔いどれ河重…漫画に出てくる河童はお酒も呑むようです。河童の酔っ払いも人間によく似ていることにして、危なっかしい足取りで、水辺を漫歩する姿を想像してみました。
4.河童の川流れ…河童は水に棲む動物ですから、当然のように水練は達者のはず。それが、どういうはずみか急流に呑まれて、川に流されてしまうことがあるというから面白い。これを「河童の川流れ」といい、油断大敵の戒めとしたものです。

1988年作曲

華舞歳々(かぶさいさい)/野村祐子作曲

人々は無病息災や豊かな暮らしを願い、かつは感謝し、吉日や縁日に神社仏閣などに詣でます。年々歳々のその賑わいや歓喜の思いを華やかな舞いと表 現してみました。中間部には、金魚すくいや物売りの口上、花火大会、いろいろな遊戯、行き交う人々の雑踏など、祭の夜の情景も想像してみました。踊り出し たくなるような太鼓との協演もできるように構成しましたが、筝群だけでも充分効果はあがるでしょう。

かわいい踊り子(かわいいおどりこ)/野村正峰作曲

舞台の袖で、出番を待っている小さなバレリーナたちのあどけなさ。鏡の前で、身振り手振り面白くポーズをとってみせる愛らしい姿を、ロンド形式風の箏2重奏にしたものです。

(1972年作曲)

観音の里(かんのんのさと)/野村正峰作曲

観音様は種類が非常に多く、馬頭観音、千手観音、十一面観音、マリア観音(徳川時代の切支丹弾圧のため信者がマリア像を観音像にカモフラージュして信仰した)など、さまざまな形の仏像が信仰されてきました。
越前から琵琶湖の北部一帯では、古来、十一面観音の信仰があつく、ことに、国宝指定の湖北の渡岸寺(どうがんじ)・ 十一面観音は、戦国時代に織田信長が浅井氏を攻略したおり、農民の手によって土の中に埋められ、兵火をまぬがれたといわれます。早速訪れた渡岸寺は、田園 地帯のただなかにポツンと建てられた何の変哲もない田舎の小さなお寺で、何故こんなに立派な観音像がおかれたのかと、不思議でなりませんでした。
仏教では、観音様は、あるときは怒りの、ある時は悲しみの、またある時は慈悲の姿でと、人々のその時おりの心の救いとなる姿に化身して説法する といいます。この田園の中の十一面の仏の表情に感じる牧歌的な、わらべうた的な深い心の安らぎや、心の底まで見すかされるような本能的な畏怖を、素朴な気 持ちでえがいてみました。

1983年作曲

桔梗の詩(ききょうのし)/野村正峰作曲

すがすがしくやさしい花の姿、しかしどこか寂しげで、かげりのある薄紫の桔梗は「手弱女」(たおやめ)をしのばせるように心惹かれる花です。
きりきりしゃんとして さく桔梗かな    一茶
かたまりて 咲きし桔梗の 淋しさよ   久保田万太郎
桔梗の花の寂しさよりも、「きりきりしゃん」をイメージとして作られた合奏曲です。

1980年作曲

きさらぎ(きさらぎ)/野村正峰作曲

平安朝末期から鎌倉時代にかけての歌人として有名な西行は、もと北面の武士、すなわち鳥羽法皇の御所警護の任にあたった、重代武勇の家柄の武人であったの ですが、思うところあって、高い家名を捨てて、仏門に入り、ついには諸国を漂泊して念仏三昧と、歌道一途の一生を送ったという、非常に純粋な人物像をもっ た人です。西行はこよなく桜の花を愛し、ことに吉野の桜には深い愛着をもって、花を詠んだ多くの名歌をのこしています。この曲は、桜をうたった西行の歌四 首を現代口語に訳し、それをそのまま、語りもの風に展開した作品です。

(1979年作曲)

吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はずなりにき
吉野山に 桜の花が咲いた日のこと あの梢の花を見たときから 私の心は
あの花へのあこがれで 夢を見てるようで 浮かれでてしまったのです
ただわけもなく 心がさわぐのです

吉野山 去年のしおりの 道かへて まだ見ぬかたの 花を訪ねむ
吉野山に また今年も花が咲きました 去年花をたずねて あるいたとき
つけておいた道しるべ それをたよりに 今年は道をかえて まだ見ぬ道の
花を訪ねてみたいのです

吉野山 やがていでじと 思う身を 花散りなばと 人や待つらむ
吉野山に ついつい長居をしてしまいました 人の世のわずらわしさから
逃れたくて 山にこもって 悟りすましていたはずなのに ああ 花が散る
花が散る頃になると なぜか無性(むしょう)に人恋しくなるのです 花が散ってしまったら
山をくだってたずねてゆこう あの人もそんな頃だと 待っていることでしょう

願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ
私がこの世を去るときは うららかな 春の日であってほしいのです 咲き匂う
桜の花を眺めながら 静かに去ってゆきたいのです 明るく澄んだ 
月の光に照らされて 去ってゆきたいのです そのきさらぎの望月のころ

岐山頌 (ぎざんしょう)/野村正峰作曲

中国の古代史をひもとくと、尭(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)という伝説の帝王があり、ついで実在の確認された国として、夏(か)、殷(い ん)、周(しゅう)という王朝があいつぎます。いずれの王朝も末期には暴君はいて国が乱れ、つぎの王朝にとってかわられるという歴史が残されていますが、 それはつぎの時代になってから歴史が書かれているからで、滅んだ王朝が必ずしも悪であったわけではありません。ともかく周が殷(いん)王朝を倒したのは紀 元前1066年、殷(いん)はそれまで300年も続いた大帝国で、近年甲骨文字や青銅器の発掘で大きな文化の一端が明らかになりました。周は西安の北の岐 山という辺鄙(へんぴ)な地に発祥しました。周王朝の先祖は、周囲の蛮族と争うのを避け、彼らの望むものを与えて辺境に移ったところ、民はかえって、君主 の徳を慕って集まり、次第に強大な国になりました。 殷(いん)は宗主国ともいうべき王朝であり、周が強大になるのをおそれ、不当に残虐な圧力を加えました。周の君臣は長い忍従の年月ののち、殷(いん)の 都、朝歌(ちょうか)に攻め入り暴君の紂王(ちゅうおう)を滅ぼし、新しい王朝の樹立に成功しました。 周の建国には、孔子(こうし)が敬慕してやまなかったという周公や、釣をしていてスカウトされたとうい軍師の大公望(たいこうぼう)など、 ユニークな人材があずかっており、史記(しき)(司馬遷/しばせんの著による中国の歴史書)や論語(ろんご)(孔子の著)を学んだ中近世の日本人は、周と いうと聖人の国のように感じていたようです。
織田信長が、井の口といっていた町を岐阜と名づけさせたのは、 インテリ和尚の沢彦(たくげん)が、聖賢の国にあやかり岐山の阜(おか)がいいと進言したからといわれます。
歴史の好きな私は、純音楽の作曲よりは、ドラマ性のある曲を考えるほうが好きなので、岐阜=岐山、やはりユートピアを感じられるような音楽という意味で聖人が治めたという幻の国(岐山)への憧れを描いてみました。
初章と終章には雅楽の三管(篳篥/ひちりき、竜笛/りゅうてき、笙/しょう)を加えても演奏できるようにと構成しました。雅楽がなくても、尺八だ けでも演奏できます。初章には「闌陵王/らんりょうおう」、 終章には「迦陵頻急/かりょうひんきゅう」(いずれも壱越調/いちこつちょう)の一部をそのまま演奏して合奏できるように作曲してあります。

北の古都(きたのこと)/野村正峰作曲

北辺の古都、津軽藩の居城の地として知られる、青森県弘前市の市制百周年を祝い、作曲を委嘱されたものです。
まず最初は弘前の「ねぷた」(青森の「ねぶた」とはいささか異なります)の雰囲気を移したイントロに、津軽民謡の「願人節」のアレンジが続きま す。「願人節」の元歌ともいえるのが、東海地方に端を発する「伊勢音頭」で、これはもうそのままお祝いの歌としてピッタリ。ついで津軽地方の三大民謡のひ とつ、「アイヤ節」を三番ほど、楽器の交替、または斉奏の面白さを狙ってアレンジしました。いずれも素朴な旋律をこわさないように、あまり洋楽的な和音の 処理は加えてありません。
ついで中段はオリジナルとなっていて、津軽山唄の雰囲気を印象的に描いた十七絃と尺八のソロからはいって、弘前の城、古寺、街のたたずまいなどに感じたメロディが綴られます。
このあとに再びアイヤ節、陰旋音階の前段と異なり、今度は陽旋音階、このほうがかえって哀愁を感じさせます。そして終曲が、やはり三大民謡に数 えられる「じょんがら節」の野趣に富んだ情景を写したオリジナル、津軽の人の表現で「血がじゃわめく」ような曲にしたいと意図した、かなり大がかりな合奏 曲です。

キャンプのうた(きゃんぷのうた)/野村祐子作曲

アウトドアライブ、森林浴など、自然に親しむことは楽しいことです。子供のころの山のキャンプで、飯盒炊さんやキャンプファイヤー、寸劇の思い出はありませんか。楽しい山の一日を箏の合奏にしました。

郷愁(きょうしゅう)/野村峰山作曲

故郷へのおもいを三楽章にまとめた尺八五重奏曲である。第一楽章では、故郷の山々で遊んだ思い出を、第二楽章は、ふるさとを離れた孤独をあらわし、各パートの独奏から始まるため、各演奏者の個性が発揮されるところである。第三楽章では、和声の美しさを聞かせる。

霧の城(きりのしろ)/野村祐子作曲

岐阜県の岩村城は、最も高地にある山城で、原生林に囲まれ朝夕、霧に包まれるところ
から「霧ヶ城」と呼ばれています。
今からおよそ800年前、源頼朝の重臣・加藤景廉が、美濃の国・遠山の庄に岩村城を築き、長男景朝は、遠山姓を名乗り東濃一円を支配しました。戦国時代、 遠山の庄は武田信玄と織田信長の領地境にあたり、双方の勢力争いで城主は目まぐるしく交替しました。政略結婚のため遠山家に嫁いだ織田方の夫人は遠山氏に 先立たれ、女城主として武田方の攻撃から堅く城を護ったので、武田方の武将秋山信友は、女城主との婚姻により和睦を結びました。しかし、翌々年、織田軍の 猛攻撃により落城、城主は夫人ともども処刑されたと伝えられます。江戸時代には松平家・丹羽家が統治、明治維新を迎えると藩籍を奉還し、明治6年、城は取 り壊されましたが、石垣は今なお残されています。建物のない城跡には植林が進められ、苔むした枯れ枝や石は、人々がこの城の存在を忘れて過ぎ去った年月 を、静かに呈示しているかの様相でした。霧のなかの女城主の幻へ捧げる作品です。

1990年作曲

錦秋(きんしゅう)/野村正峰作曲

『錦織りなす』とは、古人もいみじくも言いあらわしたもので、秋の野山には、紅葉、黄葉が美しく織りこまれ、眼を楽しませてくれます。
万葉の歌人、額田女王のうた
秋山の 木の葉を見ては もみじばを 取りてぞしのぶ
青きをば 置きてぞなげく そこし恨めし 秋山われは
の歌は、近江大津京(667~672)の時代、天智天皇の詔で春山万花の彩と、秋山千葉の彩を比べて詠まれた歌の後半で、『春もよい、秋もよい、しかしど ちらかといえば、私は秋に心ひかれる』と応えた巧みな歌ですが、日本の秋を代表的する紅葉の美しい眺めは、誰もが心を惹かれる景色です。秋山の物寂しい静 かな美しさ、鹿の遠音、虫の声などの風物、川を紅に染めて流れるもみじばの激しい動きなどを思い浮かべ、逝く秋を惜しむ余韻を表しています。

1970年 作曲

組曲きたぐに(くみきょくきたぐに)/野村正峰作曲

組曲の構成をとり、尺八と箏二面と十七絃の四重奏によって、冬の雪国のドラスティックな情景を、四つの小曲に分けてボエティカルに投影させる。曲調は、 暗から段々と明に移り、光を増す。

第一曲<吹雪の海>が、いきなり十七絃の低く重い音の運びに先導されて、尺八の這うような旋律が不安を駆りながら流れ出 す。日本海の荒海の波しぶきを想わせる躍動的な楽想が、後半に展がる。

第二曲<雪の山寺>は、尺八と十七絃だけの二重奏だが、永平寺らしい伽藍から、冴え た冷気のなかをさまざまな声や音が洩れ響いて来る。種々の間が置かれ、運びも5/4~ 3/4~ 7/4~ 5/4~ 9/8~ 6/8~と頼りに変わる。

終わりは、次ぎの第三曲<街の夜>のイントロダクションとなり、何やら愉しげな気分に変わっていき、第四曲<残雪の道>では、春の陽光がしだいに活き いきとした動きを誘い出す。

暖冬のこのごろ、きたぐにイコール雪国というイメージに結びつかなくなりましたが、冬、日本列島のどこかで、この曲に描いたような情景が見られます。
その1 吹雪の海
空と海との境もさだかでないほどに、雪雲が低く垂れ込めた暗い海、おおいかぶさってくるような重苦しさの中に、吹雪の白さと、岩を噛むはげしい波の白さが印象的。
その2 雪の山寺
鬱蒼たる千古の樹林、森閑とそびえる大伽藍、案内の僧の吐く息も凍りそうな寒さ、修行の僧の読経の声が低くひびいてくる。ときを知らせる魚盤の音が、しじまを破って広い雪の底に吸い込まれていく。
その3 街の夜
雪で街道が閉ざされたのか、街はひっそりとしてゆき交う車も少ない。時おりチェーンを引きずって走る車が、そりの鈴の音のような余韻をのこしていく。
その4 残雪の道
路肩にはまだ泥まみれの雪が残っている。でも山々の雪は日の当たるところがまだらにとけて、そこだけが忍び寄る春の気配を感じさせる。長いきたぐにの冬 もようやく終わろうとしている。太陽はやわらかな光をふりそそぎ、風は春の香りをのせてやってくるようだ。 

(1972年作品)

クラシック名曲集(くらしっくめいきょくしゅう)/野村祐子作曲

ヨーロッパの古典音楽であり、日本でも古くから親しまれているピアノ曲など、学校でもよく耳にしたメロディを、箏と十七絃の合奏曲にしてみまし た。ポッケリーニ作曲「メヌエット」・バダルツェウスカ作曲「乙女の祈り」・ベートーベン作曲「エリーゼのために」・イワノビッチ作曲「ドナウ河の漣」・ ネッケ作曲「クシコスポスト」・シューベルト作曲「モーメントミュージカル」など一曲ずつ演奏が可能となっています。

蔵の街(くらのまち)/野村祐子作曲

瀬戸内の温暖な気候の中で、古い蔵屋敷を今も伝える街、倉敷。江戸時代の米倉の続く川畔、白壁の家並、石だたみの道。内海航路の要所であった、下津井港は下津井城の城下町として栄え、下津井節は全国へ知れ渡る民謡。歴史の残る町並みに思いを寄せて。

クリスマス・ソング・メドレー(くりすますそんぐめどれい)/野村祐子作曲

箏で迎えるクリスマスはいかがでしょうか。クリスマスにちなんだ曲、「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「ホワイトクリスマス」「サンタが街にやってくる」「もろびとこぞりて」「きよしこの夜」 のメドレーです。雪を蹴り上げて走る橇やサンタさんのプレゼント、ロマンティックな夜しんしんと降り積もる雪、陽気にクリスマスを迎える街、心静かに祈りを捧げる夜などを思い浮かべながら、箏ならではの手法を加えてアレンジしました。 

幻想曲まりと殿様(げんそうきょくまりととのさま)/野村正峰作曲

西条八十の詩に中山晋平が作曲した童謡名曲「まりと殿様」は、素朴でなつかしい旋律で人々に愛唱されています。童謡にうたいこまれた紀州の殿様は、徳川御 三家の御一人、参勤交代の江戸詰が終わって、故郷和歌山へお国入りの旅。東海道の松並木を東から西へと泊まりを重ねて、大名行列が進んでまいります。手ま り遊びをしていた子供達の手から、手まりの手がそれて、まりは行列のおかごに乗ってしまいました。三年のお国詰めが終わっても、手まりはとうとう帰ってき ませんでした。きっと、紀州名物の蜜柑になってしまったのでしょう。
和歌山在住の愛好家の依頼により、この童謡を幻想曲風にアレンジしたものです。大名行列や、手まりがコロコロと転がってゆく情景など、ふと微笑を誘うような楽しい曲です。

1975年作曲

幻想の北前船(げんそうのきたまえぶね)/野村正峰作曲

中世から近世にかけて、日本国内での物流の主要部分は沿海航路の帆船交易に占められていました。なかんずく、春まだきに大阪を出港して瀬戸内海を横切 り、下関から日本海へ転針して、山陰、北陸、東北、北海道へと各地に寄港しながら、衣料、工芸品、米、海産物などの物産を交易してまわった帆船は、生産活 動に大きな貢献をしたばかりでなく、当時の文化交流の担い手でもありました。
春、南風(はえ)に乗って北上し、秋、東北風(あい)か吹き出す頃帰る千石船は北前船とも北米船とよばれ、一航海の収益は莫大でした。また船の交易一切の責任者のことを弁財衆といいました。
航海には風を待つための寄港が長引くこともあり、船乗りたちは港々の歓楽街に愛と海の男の心意気の歌を残したのでしょうか。
現今、はいや節、おけさ節、あいや節などといって愛唱される民謡はすべて、帆船乗りの歌がルーツになっているようです。
青森県の十三湊には「この砂山が米だったら、私の好きな西の弁財衆に全部ただでつませてあげるのに・・・」という、津軽の乙女心を歌った抒情的な民謡があり、この歌を中心に北前船を偲ぶ曲としてみました。

高原のオブジェ(こうげんのおぶじぇ)/野村峰山作曲

まだらに雪の残る5月の高原は、初夏の陽射しを受けながらも、爽やかな風が肌に心地よい季節。美(うつくし)ヶ原高原では毎正午、アモーレの鐘が高原一帯に響きわたり、パリのモンマルトルの丘に立っているような錯覚を感じさせます。
ここの高原美術館は、高原の雄大な自然を背景に、独創的な彫刻やオブジェ、モニュメントが立ち並び、自然と芸術が融合した眺望です。この作品群からの印象を、尺八と十七絃の二重奏に描いてみました。

マイ・スカイ・ホール(天をのぞく箱)
4本の柱から吊り下げられた直径2メートル位のステンレスの球体。スカイホールの中に入って球体を見上げると、地球の天辺に立っているかのような不思議な象形(しょうけい)や空間が映し出されました。

スズメヲウツノニタイホウヲモチダス
高原の高台に、ひときわ目立つ朱色の大きな物体。太い鉄骨や鉄板で構成された巨大大砲の異様さに、何事かと思って近づくと、その作品にはユーモア溢れる名が命名されているのでした。(大阪万博出品の作品)

戒(かい)
壊れかけた球体から飛び出す頭蓋骨や大勢の人々。球体は地球を表わし、現代社会からの脱出願望、人間と自然とのかかわりを訴えているのでしょうか。

親指
高さ3メートルほど、ガリバーの親指のような巨大な指の彫刻。大理石の赤や青の模様は、まるで血管のように見え、細かく刻まれた指紋や皺(しわ)は、指が生きているがごとくの力強さで、生命の尊さを思わせるようでした。
最後にアモーレの鐘が響いて終わります。

(2003年7月作品・永廣孝山委嘱)

曠野にて(こうやにて)/野村正峰作曲

戦争のために離散した家族のニュースは、社会問題として取り上げられています。
昭和20年に中国東北(満州)に在り、多くの民間人と祖国への引揚げを共にし、肉親生別の悲劇の状況をつぶさに体験した作曲者にとって、残留孤児の親族探しのニュースは、抑えがたい慟哭となり、社会問題というよりは、憶隠の情の発露として作品になりました。
山もない谷もない見わたす限りの灰色の稜線の大曠野、「荒れたる野こそ うれしけれ」とうたった藤村もたじろぐほどの冬の寒さ、夏の暑さ。このような曠野にも、春がきて夏が近づくと四季の花が一斉に開花し、大地は緑に染まりま す。しかし、稜線の彼方では、多くの人命が理由なく失われてゆきました。多くの感慨をこめて平和への願いとともに、曠野での哀歓をうたいあげた作品です。

(1985年作曲)

高麗民謡による幻想曲(こうらいみんようによるげんそうきょく)/野村正峰作曲

朝鮮の代表的な民謡、アリラン、トラジを、自由な音階、リズムで高度な合奏にアレンジした幻想曲です。曲名には、古代の国名で、Coreaの語源となった高麗(高句麗)を選びました。

(1980年作曲)

胡笳の歌(こかのうた)/野村正峰作曲

中国は唐の時代、君命で西域の辺境に派遣されることになった友人、顔真卿のために詩
人の岑参が送った送別の詩「胡笳の歌」に寄せる想いから作られた曲です。胡笳とは辺境に住む異邦人の吹く竹製の管楽器のことで、岑参は、親友との別離の悲しみを、胡人の吹く悲しい笛の音にたとえた韻律美しい詩を贈りました。

1975年作曲 

胡笳の歌 
顔真卿の使いして河隴に赴くを送る    岑参     
君聞かずや胡笳の声  最も悲しきを
紫髯緑眼の胡人吹く
之を吹いて一曲猶未だ了らざるに
愁殺す  楼蘭征戌の兒
凉秋八月蕭関への道
北風天山の草を断つ
崑崙山南月斜めならんと欲し
胡人月に向かって  胡笳を吹く 
胡笳の怨将に君に送らんとす
秦山遥かに望む隴山の雲
辺城夜々  愁夢多し
月に向かって  胡笳誰か聞くを喜ばん

こきりこの里(こきりこのさと)/野村正峰作曲

富山県五箇山地方の民謡こきりこ節は、義務教育の音楽教材にも採りあげられた歌ですが、平家の落人の隠れ里であったという伝説とともに、平安調の 宮廷舞楽の片鱗をしめす文化的な意義があるとされています。素朴ななかに哀調をたたえ、しかも格調の高い歌に惹かれ、ラプソティ風の変奏曲に仕立ててみま した。

古今の調べ(こきんのしらべ)/野村祐子作曲

初めて箏にふれた方のあこがれの曲は、「六段の調べ」や「千鳥の曲」でしょうか。箏曲の古典の持つ優雅さ、上品さを、箏のやさしい二重奏曲にしました。調 弦には、日本古来の陰旋音階をもとに、「千鳥の曲」の作曲者で愛知県出身の箏曲家、吉沢検校の創案した「古今調子」に近いものを用い、また曲名は「古今調 子」にちなんで、「古今の調べ」と名づけました。

(1972年作曲)

五丈原(ごじょうげん)/野村正峰作曲

古代中国の歴史小説「三国志」からの出典で、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と、後の世まで語り継がれる、蜀軍司令の孔明と、魏軍司令の司馬仲達の最 後の対決、「五丈原の戦い」。この孔明の生涯と、その生きざまに感動した、土井晩翠の「星落秋風五丈原」の詩をもとに作曲したのがこの曲です。 前奏は、十七絃の低音をバックに、尺八の悲壮なメロディ、心は重く打ちひしがれながらも粛々と軍を進める行進のひびきに導かれて始まる男声の力強い歌声。 中段の歌はフォ一ク調、リズムはロック調で、難解な歌を軽快に歌いあげます。後段は高揚された晩翠の詩の心を切々と訴えます。

(1969年作曲)

祁山(きざん)悲秋の風更けて   陣雲暗し五丈原  零(れい)露(ろ)の文(あや)は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども  蜀軍の旗光無く  鼓(こ)角(かく)の音も今しづか
丞相(じょうしょう)病あつかりき

清渭(せいい)の流れ水やせて   むせぶ非情の秋の聲  夜は關山(かんざん)の風泣いて
暗に迷ふかかりがねは  令(れい)風霜(ふうそう)の威もすごく  守る諸営(とりで)の垣の外 丞相病あつかりき

帳中眠かすかにて   短檠(たんけい)光薄ければ     ここにも見ゆる秋の色
銀(ぎん)甲(こう)堅くよろへども  見よや侍(じ)衛(えい)の面かげに  無限の愁溢るるを

風塵遠し三尺の      剣(つるぎ)は光曇らねど  秋に傷めば松柏の
色もおのずとうつろふを  漢騎十万今さらに  見るや故郷の夢いかに

夢(む)寝(び)に忘れぬ君王の   いまはの御(み)こと畏みて  心を焦し身をつくす
暴露のつとめ幾とせか  今落葉の雨の音     大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに   丞相病あつかりき

四海の波瀾収まらで  民は苦しみ天は泣き   いつかは見なん太平の
心のどけき春の夢   群雄立ちてことごとく  中原(ちゅうげん)鹿を争ふも
たれか王者の師を学ぶ 丞相病あつかりき

古城の旅人(こじょうのたびびと)/野村祐子作曲

古城への旅は、人類の歴史への旅です。戦乱に明け暮れた中世期、文化の華開いたルネッサンス時代、戦争と平和を繰り返しながら歴史は綴られてきま した。この曲はフランスの古城を訪ねる旅での作品で、特に強く印象に残つたアンボワーズ城の思い出を中心に描いてみました。歴代の王候貴族、騎士、芸術家 たちの様々な人間模様、古城は多くの幻想を語りかけてくれるのでした。
フランスの首都パリから南へ200kmほどのところに、ロワールと呼ばれる地方があります。国土の中央部を横断するロワール河が盆地を形成し、 「フランスの庭」と言われる美しい土地で、歴代の王侯が好んで城を造営し、現在も国有、私有の城が140余りも残っています。中でも、シャルル八世が好ん だといわれるアンボワーズ城は、ロワール渓谷を見おろす中世の城塞の跡に構築されたもので、イタリア・ルネッサンス風の美しい城です。 城主はシャルル八世からルイ十二世、 さらにフランソワー世と受け継がれ、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いて、城を装飾的な様相に仕上げたといわれますが、本来は領地や領民を守る ための砦であり、戦闘的な城塞で、内部ヘ乗馬のまま乗り入れることのできる塔、防御のための堀など、戦いのための構築物が今も残されています。
歴史的には平和な城でしたが、旧教徒と新教徒の争いにまきこまれ、新教徒の大虐殺が行われたこともありました。ともあれ、現在は国有となり、城主 は失われたものの、観光地のひとつになっています。城内の装飾に、フランス王家のシンボルの百合の花をデザインした紋章が使われており、かっての王権の偉 大さを偲ぶよすがとなっています。


第一楽章 ロワールの流れに沿うて
第二楽章 舞踏会の夜
第二楽章 城燃ゆ
第四楽章 佇む古城

古戦場を彷徨いて(こせんじょうをさまよいて)/野村正峰作曲

世界のいたるところ、勿論日本国中津々浦々にいたるまで、歴史に残る古戦場は数知れないほどです。戦いなくして人類の歴史を語ることはできなく、 かっては戦争が発明の母となって文明の発達を促進してきたことも否めません。
旅をして古戦場を訪れるたび、杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草木深し」の詩を感じ、荘々としてただ胸ふさがれる思いになるのですが、ことに歴史に登場する人物の悲劇的なドラマには深く心を傷めるものです。
この曲は、びわ湖放送の番組「湖北有情」のため書きおろしたものですが、関ケ原から琵琶湖東北にかけては、天正から慶長年間、浅井長政、柴田勝家、お市 夫人、織田信長、石田三成など、多くの悲劇的な人物にゆかりの深い土地であり、歴史を知れば知るほどに曲への思い入れが深くなったものです。
徘徊低迷の思い、古戦場の彷徨は、はじめ静かで緩徐を4分の4に始まります。次第に激してくる思いは中段以降の早い4の3拍子に、ついで8分の12と加 速され、更に8分の5と8分の6が複雑に交錯する部分が物言いたげです。その後いささかの鎮静を経て再び激しいフィナーレヘと、心は麻のごとくに乱れてい きます。

古都絢爛(ことけんらん)/野村祐子作曲

金沢大学琴尺八部第四十回演奏会記念委嘱作品
百万石の城下町・金沢は、前田利家を藩祖として、尚武の内に京風の雅びな文化が花開いた街である。日本三大名園に数えられる兼六園、千鳥破風の優 美な金沢城、豪壮な武家屋敷などの美しい建築、金細工、漆芸など多くの優れた美術工芸品、観能や茶の湯。長い年月、伝統の技は、手から手へ、多くの人々の 喜びや悲しみとともに現代に引き継がれてきた。金沢は、伝統文化が現代に息づく古都である。

2009年9月作曲


【雪華の舞】
雪深い北陸の冬。雪は華のように舞い、降り積もり、すべてを清らかに覆い隠して、白銀の世界を造る。自然が創り出す造形の美しさに人間の力は及ばない。
【眠れる城下町】
すべての人々に等しく訪れる夜の闇。幾多の喜びや悲しみを抱く街も、夜の帳に被われる安らぎのひととき。眠りにつく城下町、愛しい家族や恋しい人への思いは、夢に歌われる。
【古都絢爛】
伝統の技を今に伝える古都、その熟練の技の美しさは多くの人々に感動を与える。古きよき日本の心が息づく古都は、いにしえも今も変わらず、絢爛と輝いている。

古都の秋(ことのあき)/野村正峰作曲

晩秋の一日、滋賀県大津市に近江京(667~672)の遺跡をたずねてみました。大津から西北に京都へ抜けるという、車も通れないような細い山道を登って 行くと、山川のせせらぎの音が拡がってゆくあたりに、礎石だけが残っている昔の寺院のあとがあります。近年になってこの礎石の中心(心礎)の地下から貴金 属の箱に収められた仏舎利や宝石などが発見され、ここが天智天皇の勅願によって建立された崇福寺ではないかといわれています。かってはこの寺院から、樹林 の間を縫って琵琶湖を背にした荘麗な大津京を望むことができたのでしょう。あたりはちょうど紅葉が一面に散って、落葉をふみしめる足音がカサカサとひびき ました。
天智天皇ご崩御ののち、壬申の乱とともに、大津京は僅か五年余の寿命を閉じましたが、後年、廃都のあとを訪れた柿本人麻呂は


さぎなみの 志賀の大わだ 淀むとも
昔の人に また逢わめやも

と、古都を偲ぶ歌を残しています。古都というよりは湖都とよぶのがふさわしい大津京のあとでの去りがたい思いを綴ってみました。

1985年作曲

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