曲目解説(ま行) - 正絃社

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曲目解説(ま行)

舞扇(まいおうぎ)/野村正峰作曲

『私の前におかれた一本の舞扇。使い古された舞扇をじっと見ているうちに、いつしか私は幻想の世界に誘いこまれてゆく。幻想の中で舞扇は、振り袖姿も美し い楚々たる佳人の姿に変わり、悩める女心を語りかける。あるときは、咽ぶように切々と、あるときは母のようにやさしく、またあるときは人の心をゆさぶるよ うに激しく・・・』 地唄の「黒髪」「ゆき」にひそめられた女心を現代風に描いてみたいという動機で、形式にこだわらず幻想曲風に自由なスタイルで作曲されたものです。     1972年作曲

松の双葉に(まつのふたばに)/野村正峰作曲

古典より、賀の曲である「八千代獅子」の旋律をもとに、自由な挿入を加え高音箏・三絃・十七絃・尺八の合奏曲に編成しました。歌詞「雪ぞかかれる松の双葉に」から撰名しました。

万葉越中の春(まんようえっちゅうのはる)/野村正峰作曲

万葉集最後の歌人、大伴家持は延暦4年(785)みちのくの多賀城国庁で没しています。万葉集に残された溢れるような詩情のある歌は、彼の歌才の 最も円熟した越中での青春期のもので、かえらぬ青春への讃歌として、また悲運の名家への挽歌として、大声をあげて唱和したい思いにかられます。

「朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唄う舟人」
「もののふの 八十をとめらが くみまがう 寺井の上の かたかごの花」
「立山の 雪し来らしも 延槻の 川の渡瀬 鐙 浸かすも」

岬の燈台(みさきのとうだい)/野村正峰作曲

人里はなれた岬の尖端に佇立する燈台の姿を凝人化すると、何とものさびしく、きびしい姿でしょう。「岬の燈台さびしかないか」と呼びかけるようなメロディで綴った小品です。実はその頃結婚した愛弟子のために、自分の心境を述べて贈った曲でもあります。

水と踊りの街・郡上(みずとおどりのまちぐじょう)/野村祐子作曲

岐阜県郡上八幡町に伝えられる郡上踊りは、江戸時代からの長い伝統を持ち、里人たちの信仰と和楽の願いがこめられています。「幼いころ、浴衣を着 せてもらい、父母のあとを追いかけて踊った思い出が、故郷への慕情につながるのです。」踊りの輪のなかで耳にした言葉に惹かれての作品。

みちのくの旅(みちのくのたび)/野村正峰作曲

東北地方の民謡より「大漁うたいこみ節(斎太郎節)」、「南部牛追唄」、「会津磐梯山」の3曲を、幻想曲風なメドレーとしたもので、民謡の素朴な雰囲気を和音やリズムのアレンジに工夫した作品です。 (1968年作品)

緑の小路(みどりのこみち)/野村祐子作曲

メルヘンの世界に出てくるような小路、木々は緑に益れ、足もとに咲く草花は宝石のように光り、青い空にはお日さまが笑っている・・・・かわいい二重奏です。

みなかみ詩情(みなかみしじょう)/野村祐子作曲

青森県の十和田湖、奥入瀬渓流を訪ねた印象を4楽章に構成したものです。

第1楽章 ひめやかに山峡を流れる奥入瀬の渓流は、四季折々の美しさ。新緑の奥入瀬、
紅葉の渓流、雪景色、清らかな流れに沿って旅は始まる。
第2楽章  早瀬に水の織り成す模様の変化。流れをかすめるせきれい、落ち葉をまきこ
んでしぶきを散らす川の流れ。みなかみは生きている。そこには激しい生命
のいぶきがある。
第3楽章  みなかみは語らず、大いなる自然の奏でる天地の生命の歌の中に、寂として
流れる。
第4楽章 目にしみる緑の谷間に、神秘な影を落として奥人瀬は今日も流れゆく。

1973年作曲

南の島のうた(みなみのしまのうた)/野村祐子作曲

「南の島」という言葉をきくと、暑い太陽と海を思い浮かべます。広大な「うみ」に抱く大きな希望、マダガスカル島に住む可愛い名前のお猿さん「アイア イ」、ハワイの楽しい王様のものがたり「南の島のハメハメハ」。子供たちも楽しくうたうメドレーの二重奏曲です。

1998年編曲

宮城野(みやぎの)/野村正峰作曲

島崎藤村の詩集「若菜集」より「草枕」の歌詞を抜粋、荒涼たる東北の原野をさすらう、孤独な旅人の心情を描いた歌曲です。荒野に立つ詩人の心は重く、二歩 進んではとどまり、三歩すすんではたたずみ、胸中は北風の如くに吹きすさびます。情景の表現のために、箏の調絃法やリズムなどに苦心した作品です。

1965年作品

こころの宿の 宮城野よ
みだれてあつき 我が身には
ひかげもうすく 草枯れて
あれたる野こそ うれしけれ

ひとりさみしき 我が耳は
吹く北風を 琴ときき
悲しみふかき 我が目には
いろなき石も 花とみき

宮城の祝い唄(みやぎのいわいうた)/野村正峰作曲

宮城県の民謡のうち、全国でも愛唱されている「さんさ時雨」と「大漁うたいこみ節」を中心にした合奏の楽しめる編曲です。前奏に「宮城野盆唄」を、つなぎの部分には「遠島甚旬(としまじんく)」を配して陰旋音階と陽旋音階の彩りに変化をもたせています。箏、三絃、各々2パート、十七絃、尺八、と大編成で独奏箏の聴かせどころもあります。

1995年作曲

雅びの調べ(みやびのしらべ)/野村正峰作曲

「雅び」とは風流を解し、上品な趣味をもつ心のことで、詩歌、文字、音楽など、芸術を真に愛する人は「雅び」の境地に遊ぶことができるといえます。この曲 は、箏曲の古典段物風な平易な旋律に、一般に理解しやすいリズムを配し、現代の人にも、古典の風雅な旋律に、より親近感をもっていただくことができるよう にとの意図で作曲した小品です。

1978年作曲

深山の春(みやまのはる)/野村正峰作曲

この曲は、春の木曽路を訪ねたときの印象をもとに、1974年「深山路」として発表、  のちに内容を一部増補して「深山の春」と改題したもので、心もうきうきするような高 音箏の軽妙酒(しゃ)脱(だつ)な装飾音、力強い春の足音を響かせる低音箏のリズム、さまざまな技巧 音を駆使しながらも伝統的な奏法を生かした尺八、これらが一体となって、万葉の歌の ような情景を彷彿させる春の深山の雰囲気を快活に描きあげたものです。

1978年作曲

~ミュゼ・ドウ・ルーブル~ エジプトものがたり(~みゅぜ・どう・るーぶる~えじぷとものがたり)/野村祐子作曲

人類は、長い歴史の中で、美しいものを喜び、美しいものを創り出してきました。
パリのルーブル美術館には、古代から近代に至る多くの作品が収蔵され、人々は、その美しさに心を動かされます。人間は、豊かな感情を持っています。作品への感動とともに、その時代のできごとや民族の習慣、風土、作者の思いなどへ想像力が膨みます。
この曲は、ルーブル美術館の古代エジプトの像より、エジプトに繁栄をもたらす神として讃えられる、オシリスとイシスとホルスのものがたりを描いたものです。

① プロローグ~「書記座像」ファラオに仕える書記は歴史を書き残す
② 遥かなる昔、正義と善の守り神オシリスとイシスが治める平和な大地
③ オシリスをだます戦いの神セト
④ オシリスの死を嘆くイシス
⑤ オシリスの亡骸を探してさまようイシス
⑥ イシスの愛の魔力で冥界の王として復活するオシリス
⑦ セトと戦うイシスの子ホルス
⑧ ホルスの勝利と平和の再来
⑨ エピローグ~繁栄の守り神を讃えて今も愛されるエジプトものがたり
ルーブル美術館を題材にした会員連作のひとつとして、関西邦楽作曲家協会・第30回記念作品発表会にて初演。

2008年11月作曲

美吉野(みよしの)/野村正峰作曲

桜の名所として知られる吉野山。その名は神話時代からの記録も多く、天武天皇も、吉野の宮滝に雌伏の一時代を過ごされました。吉野を愛した西行、芭蕉を はじめ多くの文人墨客が、すぐれた詩歌を残しています。吉野を知名にしているのは、花ばかりではなく、幾多の悲劇の歴史です。源義経主従と静御前、大塔宮 護良親王など御醍醐天皇を中心とする南朝の人々、吉野山を出でて討死をとげる楠木正行、そのことごとくが歴史というよりは、哀しい詩であり、美しい桜の花 とあいまって、人々の心を魅了してやまないのです。

第1楽章 懐古
花散るや ああ南朝の夢のあと (聴秋)
この一句に集約される南朝の歴史への感慨を綴り、虚無僧尺八風の旋律を、現代的な3拍子のリズムに調和させた重厚な一章です。

第2楽章 哀史
歌書よりも 軍書に悲し吉野山 (支考)

吉野をめぐる哀史から、楠木正行の出陣決別の歌、
かえらじと かねて思えば梓弓
なき数にいる 名をぞとどむる

静御前が義経を慕ってうたった、
みよしのの 峯の白雪ふみわけて
いりにし人の あとぞ恋しき
この二句を主題に、前者は国に殉じた忠臣の悲愴な心意気を、後者は愛する人を
慕う舞姫の至情を、悲しくも美しい旋律にかいたものです。

第3楽章 花祭
これはこれはとばかり 花の吉野山 (貞室)
豊臣秀吉は花の吉野で大茶会を催したといいます。吉野の花会式の日、全山は桜花爛漫、人々は花見酒に酔い絃歌の音もひときわ高くひびきます。
賑やかな祭囃子のような尺八、大太鼓のリズムのような十七絃、花吹雪のように澄んだ箏のひびきが終曲を盛りあげます。

1972年作品

弥勒(みろく)/野村正峰作曲

仏教の経典の中には多くの仏や菩薩が現れます。なかでも広く人気のある、京都・太秦の広隆寺の半伽思惟の姿の弥勒菩薩像は、その姿の美しさ、貴さ、完全さ に打たれ、信仰心のない人でも思わず手を合わせるほどの魅力があります。弥勒は、56億7千万年の未来、人類滅亡の時に復活して、釈迦によっても救い得な かった人々の魂を救済すると説かれています。仏教は、東洋人の思想や文化に大きな影響を与えてきましたが、弥勒菩薩説話は人類救済ヘの大発願であり、その 雄渾壮大な経典のスケールに深く感動させられます。

第1楽章 永劫(えいごう)
56億7千万年の永劫の時の流れを、尺八の虚無僧本曲風のイントロと八小節の弥勒のテーマを、さまざまに変形させてえがいてみました。

第2楽章 沈倫(ほろび)
太陽が次第に冷え、いつか訪れる地球滅亡の日。尺八の不協和音の三重奏に笙を加えて、沈倫の日を想像してみました。

第3楽章 渇仰(かつごう)
永劫の時を待つまでもなく、人類の魂は常に救世主、弥勒の復活を期待して祈ります。
オン マイトレイヤ ソワカ
弥勒の真言を7拍子のリズムで繰り返し唱えるかのごとく、切々とした祈りをこめる終章です。

1975年作曲

虫の音の手事(むしのねのてごと)/野村正峰作曲

長唄の中には、お座敷ものと呼ばれ、歌舞伎や舞踊などの地ではなく、鑑賞を目的に作曲された曲があり、この曲の原曲である「秋の色種」もこのジャンルに属しています。
「秋の色種」は、十代目杵屋六左衛門が、有力な後援者である奥州南部藩の殿様佐竹済公の詩に作曲し、難解な漢文調の美文の詩を巧みに歌い込んだ名曲で、お 殿様を感嘆させたというエピソードもあります。曲中には、琴の手事、虫の音の合い方という、長唄の中に箏曲風な味わいを挿入した部分があり、これを主軸に して、前奏と間奏に創作部分を加え、また、長唄の上調子や鳴物の雰囲気、箏曲に使われるさらしや砧地などを取り入れた合奏曲に仕立てられています。
長唄との合奏も可能で、箏曲、長唄に隔たりなく、名曲を幅広い邦楽愛好者の振興に役立てていただきたいという期待も込められた作品です。

1966年編作曲

紫の幻想(むらさきのげんそう)/野村正峰作曲

あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき
野守は見ずや 君が袖振る(額田王)

紫の 匂へる妹を 憎くあらば 
人妻ゆえに われ恋ひめやも(大海人皇子)

万葉集巻一に載せられた、この二首は、額田王と大海人皇子との相聞歌で、天智天皇が、蒲生野(滋賀県)に遊猟されたときの御歌として伝えられています。 額田王は、はじめ大海人皇子の妃でしたが、のちに天智天皇の妃となりました。大海人皇子との間に歌われたこの歌には、古代人のおおらかな愛の告白のなか に、揺れ動く微妙な心の動きが感じられます。雄大な標野(天皇の狩猟用の御料地)に、一行が駒を進める情景、紫草(根を紫の染料とするが花は白)の咲き乱 れる草原に交わされる、お二方の心の交流を箏・尺八の二重奏に描いた作品です。箏の調絃には、第六絃を主音とする陰旋音階の上行形を用いて、古来の音階の なかに新しさを意識した曲です。

1969年作品

もみじば(もみじば)/野村正峰作曲

山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあえぬ もみじなりけリ

浮世のしがらみなどと申します。秋の山越えの道すがら、ふと見た点景の美しさに、そんなしがらみのことは忘れてしまってよいはずなのに、あまりの紅葉のうつくしさにかえって浮世への愛着を深く感じているのではないでしょうか。
山川から流れる川に、風がかけたしがらみは何でしょうか、それは美しい紅葉が流れをせきとめているのですよ、と問いと答えで紅葉の美しさをあらわした古今 集、春道列樹の歌に、古典風な二重奏曲としたものです。小品ながら、川面を流れる紅葉の静と動のコントラストや手法、陰旋音階の節付けに苦心した作品で す。
数年前の秋、大分に旅をして国東半島の古寺めぐりをしたとき、両子寺のあたりで、この歌とそっくりの情景に出あい、去りがたい感動をおぼえたものです。

1973年作品

森の小人(もりのこびと)/野村正峰作曲

ポピュラーな歌曲の編曲について、できるだけ平調子、雲井調子など、古来からの調絃法を使うように努力していますが、音階上ドレミ調絃でなくては できないものもあります。「月の砂漠」と「森の小人」はやむなくドレミ調絃にしてありますが、続けて演奏できるように、調絃をあまり変えないで編曲しまし た。

森の都(もりのみやこ)/野村正峰作曲

"街に緑を!"  都会では、高層ビルの建設が進み、次第に緑が失われていきます。自然と都市化の調和が、人間生活にとって大切な課題になっています。風さわやかな初夏の頃、緑の街への願い、憧れ、思い出を綴ってみました。  作者・楯山検校が深山にこもって曲想を練ったといわれる、明治時代の名曲「ほととぎすの曲」にあやかり、この曲の調子「夏山調子」を第1箏に応用しました。

1982年作曲

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