曲目解説(な行) - 正絃社

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曲目解説(な行)

夏草の賦(なつくさのふ)/野村正峰作曲

絃の三つの声部に対して、管がまたあたかも三声部のごとく配され、きわめてポリフォニクに構図され、さらに笙の合竹と小鼓の早渡りも加わって、パノラマ のように繰り拡げられる。能楽を想わせるような開始、次いで予感に膨らむ舞踏的情景の音場は、次第に長唄のイディオムがいっぱいの賑々しい合奏になり、巡 りめぐって最後は、雅楽のような雰囲気で終わっていく。

はじめて東北へ作品講習の旅をし、松島、平泉などへ足をのばしたときの感懐。藤原三代の栄華の一端を残す中尊寺の金色堂の豪華さに比べ、伽藍の礎石と池を残すだけの毛越寺庭園で松尾芭蕉が詠んだという

夏草や 兵どもが 夢の跡

の句を肌で感じたものがこの曲。
歴史の解釈は時代によって変わっていきます。さしも三代の栄華を誇った奥州藤原の文化圏は、源頼朝率いる関東武士団によって夢のあとと化したわけですが、金色堂に代表される中尊寺だけが何故焼かれずに残ったのでしょう?謎は深まるばかりです。
人の力の抗するすべもない時代の流れ、押し流された人たちへの哀惜の思い、それが詩を生み、音楽となり、新しき良き時代への渇望になります。

(1974年作品)

夏の遊び(なつのあそび)/野村祐子作曲

夏の遊びと言えば、蝉・蜻蛉取り、水遊び、花火といったところでしょうか。み~ん、
み~ん、じ~っと鳴く蝉の声は、何とも暑さを感じさせます。水飛沫にキャアキャア言いながら、水鉄砲をかけあったり、飛び込んだり、追い掛けっこをした り。水の中では思うように動けない水遊びのおもしろさ。じ~っパチパチパチッ、線香花火を持つ手が震えて落ちる玉、シュルシュルシュル~ッシュ~ッと、飛 び出す美しい彩りの花火の様々。
子供のころの楽しい夏の遊びを、箏の二重奏に描いたものです。

1989年作曲

夏のうた(なつのうた)/野村正峰作曲

夏を歌った唱歌4曲をメドレーとしたものです。

日本では、明治5年の「学制」で「楽器に合わせて歌曲を正しく歌い、徳性の涵養、情操の陶冶を目的」として、小学校に音楽の教科が設けられ、以来、諸外国 の歌を取り入れることから始まって、やがて日本人による日本の歌が多く作られるようになりました。 「ことばとメロディに身体表現をともなったわらべうたこそ、子どもの発達に欠かせないもの」という考えから「わらべうた教育・保育」を取り入れている幼稚 園や保育園もあるそうですが、親しみやすい歌を初学者の箏曲の練習に取り入れ、また、楽しく鑑賞していただくためにまとめた作品群のひとつです。

(1976年編作曲)

茶つみ(文部省唱歌)、夏は来ぬ(小山作之助作曲)、海(松原遠く~)(文部省唱歌)、夏の思い出(中田喜直作曲) 

夏の歳時記(なつのさいじき)/野村正峰作曲

春の歳時記(1981)、秋の歳時記(1984)についで、四季の歳時記もの連作の一環としての作品。

夏雲
もくもくと聳え立つ入道雲(積乱雲)を想像しながら描いてみました。あの雄大な雲に較べると人間の考えることはどうも小さいですね。
夕立
雲についでは雨、南洋の国々ではスコールという激しい雨がありますが、日本ではやさしく夕立といきましょう。それでも時には集中豪雨もあり、落雷もありますよね。
走馬灯
夏と言えば、日本ではやはりお盆。信心のある人もない人も、お盆の体暇の権利だけはたっぶりと亨受しているようです。仏壇、線香の香り、盆行の鉦のチンチンという響き、走馬灯のまわるのを見ては亡き人を偲ぶひとときなど、この章だけは短音階で綴ってみました。
川開き・花火
大川には夕涼みの川舟が浮かび、川堤も浴衣に団扇という姿で賑わいます。やがて「鍵屋!!」「玉屋!!」と花火が夜空を飾ります。このごろは川のない町も、テレビでこんな光景を見ることができます.終章にふさわしくデッカイ花火を打ち上げましょう。

1990年作曲

菜の花畑にて(なのはなばたけにて)/野村祐子作曲

陽春の田園は、黄色い菜の花の一角が蓮華草の紫色と、くっきりしたコントラストを見せます。蜜をもとめて飛び交う蝶の姿もチラチラと、眩しいような情景が浮かんできます。 「白い花に寄せて」「すずらんの歌」「花サフラン」など、花詩集シリーズの作品。

(1986年野村祐子作曲)

波の詩(なみのうた)/野村祐子作曲

1988年ぎふ中部未来博によせて作曲したものです。私たちは、現在を創りあげる基となった過去を時々振返りながら、未来へと目を向ける。過去から未来へと続く時の流れは、目に見えない波となってそこに生き る人々を揺り動かし歴史を創る。 未来への思いを、時の流れの中の「波の詩」として、箏2部、尺八の三重奏にまとめてみました。

1988年作曲

平城山越えて(ならやまこえて)/野村祐子作曲

6世紀の頃、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の三国が分立していました。中国は唐の時代、半島制覇を目途して三国に出兵しますが、新羅は唐に服属 すると見せかけ、唐と連合して他の二国を攻略しました。滅亡寸前の百済は日本に救援を求めたので、日本は半島にある権益保護のため、斉明七年(661)半 島に大軍を送りました。進撃を続けた日本軍は、白村江(はくすきのえ)で、唐、新羅連合軍と対決しますが(663年8月)、ここで壊滅的な打撃を受け敗退 しました。その後、天智天皇(中大兄皇子)が即位して戦後処理をはかるのですが、その政策の一環として、奈良県の飛鳥(あすか)にあった都を、滋賀県の琵 琶湖畔の大津に遷すことを命じます。これは新羅、唐に対して本土を防衛するのに地の利があったのか、或いは琵琶湖の水利、北陸と朝鮮半島を結ぶ水利の便を 見越しての、戦勝国、唐、新羅からの要請によるものか、歴史の真相は謎に包まれています。
天智称制六年二月(667)、遷部の命によって大宮人は住みなれた飛鳥をあとに、奈良山越えに大津へ向かいます。宮廷歌人で天智の愛人の一人であった額田 女王は、この奈良山越えの情景と、人々の心を一篇の長歌としてのこしました。風光の美しい大和三山、温暖な気候風土の飛鳥に較べ、大津は長く寒い冬、湖に 沿った狭い立地条件、大宮人たちの心は決して明るいものではなかったように感じられてなりません。万葉集にとどめられた額田の歌も、人々の心を反映するか のごとく、切々と大和の三輪山に別れを惜しむ情をのべているようです。

鳰の海に(におのうみに)/野村峰山作曲

琵琶湖は、日本列島の中央に位置する日本最大の湖で、古くは「鳰の海」と呼ばれていました。鳰は、かつて琵琶湖に多く住んでいたカイツブリのこと で、近年、その数は少なくなっていますが、通年、琵琶湖でみられ、滋賀県の県鳥にも指定されています。また、琵琶湖には「近江八景」の一つ、「堅田の落 雁」で名高い「浮御堂」があります。湖中に浮かぶ仏堂として古くから景勝の地で、芭蕉、一茶、広重、北斎ら多くの文人墨客が訪れ、その美しさを句や絵にと どめています。
この作品は、琵琶湖の雄大さ、湖の青さなど、大自然の造形美に触発されて、尺八と十七絃の二重奏による三つの章にまとめたもので、日本的な旋律の中に哀愁と懐かしさが感じられるよう心がけました。

一章「鳰の浦風」 一面に広がる湖。湖面を吹きぬける風が肌に心地よい。どこまでも青く澄んだ湖、その漣は、波の花となって心を癒してくれます。
二章「湖上の大鳥居」 国道161号線を北上し、湖の右手に見える大鳥居は、垂仁天皇の皇女、倭姫が創建したといわれる白鬚神社です。謡曲の 「白鬚」では、漁翁が現われて、白鬚明神の縁起を語ったのち社殿に消え、やがて本性である明神の姿となって立ち戻り、天女や龍神とともに「楽」を奏して太 平の御代を言祝ぎます。この章には、雅楽の雅やかなしらべを取り入れました。
三章「佇む浮御堂」 新古今和歌集「鳰の海や 月の光のうつろへば 波の花にも 秋は見えけり」(藤原家隆朝臣)秋の色に変わった月が映るので、秋がないといわれる波の花にも秋は見える、と詠われているように、琵琶湖の湖面に秋が訪れる静かな情景を思い描いてみました。

熟田津(にぎたづ)/野村正峰作曲

6世紀の頃、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の三国が分立していました。中国は唐の時代、半島制覇を目途して三国に出兵、新羅は唐に服属すると見せかけ て、唐と連合して他の二国を攻略しました。減亡寸前の百済は日本に救援を求めたので、日本は斎明天皇七年一月(661年)百済救援軍を難波(大阪)より出 帆。軍は、瀬戸内海の水路、松山の道後温泉の近くと推定される熟田津に寄港して、暫しの休息をとったものと思われます。
天皇に随従した宮廷歌人、額田女王は、ここでも秀れた歌をのこしています。

熟田津に 舟乗りせんと 月待てば
潮もかないぬ 今はこぎいでな    (万葉集巻1―8)
熟田津の港に寄せくる満ち潮、出動命令を待つ船団の緊迫感、月の出の情景に、私の感じた額田をオリジナルの歌として3番入れ、おわりに額田の歌を力強く歌って、船団が掛け声も高く出動する情景を描きました。
熟田津に潮は満ち来ぬ 月高く空に昇りて
海は凪ぎ舟は揃いぬ 防人よ いざ漕ぎ出でな
和田の原 八十島かけて征でたちて戦せよとや
大君の詔勅かしこみ 防人よ いざ漕ぎいでな
君知るや 防人びとの胸に満つ熱き血潮を
君知るや 同胞どもの待ち侘ぶる深き思いを

1985年作詞作曲

虹の舞曲(にじのぶきょく)/野村正峰作曲

宮城県の石巻市から山形へ向かう旅の途中で出会った、美しい、巨大な虹に感動して、 しばし立ち尽くした思い出とともに、現代の都会では見られなくなった自然の風景に、帰ることのない少年時代への深い郷愁を込めた作品です。

(1980年作曲)

日本の四季(にほんのしき)/野村祐子作曲

日本は四季折々の自然環境に恵まれた国で、日本のうたには、自然の風物や季節の風習を題材にした、感性豊かな歌が多くあります。春咲く花は日本を代表す る「さくら」、百花繚乱色とりどりの花を競わせる「チューリップ」。初夏の香り、緑の青葉は「茶摘み」の景色。夏の夜空、天の川をはさむロマンスは織姫と 彦星の「たなばたさま」、どうか年に一度の願いをかなえてください。夏は太陽の季節、波の音が恋しい季節。明るい光のもと、大きく深い「うみ」のような心 の広い人間になりたいですね。実りの秋。「どんぐりころころ」と枝から落ちたどんぐりは、《お池にはまってさあたいへん》と、楽しい歌です。春の花と秋の 紅葉とでは、どちらが優れているでしょうと、万葉集の歌比べのお題目。秋のうたには「紅葉」を欠かすことができません。  一面銀世界の季節は冬。すべてを清らかに隠してしまう白い「雪」。雪に清められた心で迎える「お正月」は新たな一年の始まり、そして再び訪れる春。しめ くくりは、春の喜びをうたう「春が来た」です。
日本の美しい四季のうたを楽しいメドレーでお楽しみください。

(2001年編曲)

日本のわらべ唄(にほんのわらべうた)/野村正峰作曲

箏曲の演奏会、発表会など・・・出演する門下生たちは、専門の演奏家ばかりとは限りません。自分の技倆に応じて、むつかしそうに見えて、その実そ れほどむつかしくない、それでいて、心をひきつけるような美しいメロディとか、楽しいリズムのある曲に出演したいと願います。多くの門人の要望を満たして くれる曲は、そんなに多くあるわけではありません。本来こういう要望からの作品が、私の好むと否とにかかわらず、出版目録を増やすことになりました。苦し まぎれの編曲が何時の間にかベストセラーになっていた、という部類に入るのが、この曲の生いたちでもあるようで、お恥ずかしい次第です。
古くから親しまれた日本のわらべ唄、「お江戸日本橋」「通りゃんせ」「手まりうた」「山寺の和尚さん」の4曲を、箏の変奏的2重奏でメドレーにしたものです。

日本名歌集第1編(にほんめいかしゅうだいいっぺん)/野村正峰作曲

日本の名歌より忘れられない名作6曲を選び、メドレーとしたものです。 明治33年、日本人が作曲した最初のワルツで、邦楽的な動きのメロディが取り入れられている「美しき天然」(田中穂積作曲)。世界的に有名になった「荒城の月」(滝廉太郎作曲)。宮内省雅楽部のバイオリニスト多(おおの)忠亮の作曲で大正6年に発表された「宵待草」。楠木正成・正行(まさつら)親 子の決別を歌う「青葉茂れる(桜井の訣別)」(奥山朝恭作曲)。七里ガ浜で実際に起こった悲劇に、トーマス・ガードン作曲の賛美歌〈帰郷のよろこび〉をあ てはめて歌われた「七里ヶ浜の哀歌」。日本のシューベルトと称される滝廉太郎の日本人初の合唱曲「花」。いずれも明治・大正時代、日本人による作詞作曲の 歌が多く作られた時代の名歌が選ばれています。

(1968年編作曲)

日本名歌集第2編(にほんめいかしゅうだいにへん)/野村正峰作曲

日本名歌集第1編に続いて、日本で愛唱されてきた歌曲4曲をメドレーに編曲したもので、歌はいずれも情緒の溢れる名曲です。歌の伴奏として使うこともでき、器楽はやや高度な合奏のテクニックを楽しめる編曲となっています。

(1972年編作曲)

花嫁人形(杉山長谷夫作曲)、出船(同)、雪の降る町を(中田喜直作曲)、椰子の実(大中寅三作曲)

眠れる春(ねむれるはる)/野村正峰作曲

藤村の詩集、若菜集「眠れる春よ」に詩材をもとめた歌曲です。まだ肌寒さを感じる早春の雰囲気をあらわす、十七絃の印象的な8分の6のリズム。そこへ、箏と尺八がこもごも、春を待ちかねる歌を・・。そしてそれは、次第に春を告げる賑やかな喜びの歌として展開されます。
ついで曲想は情緒的な、4分の4のリズムにかわり、ここでは箏の打ち爪という、一種の打楽器的な奏法が活躍します。終曲で再び8分の6、長調に転じ、歯切れのよい、明朗快活なフィナーレヘと盛り上がっていきます。

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