曲目解説(は行) - 正絃社

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曲目解説(は行)

白秋に寄せて(はくしゅうによせて)/野村祐子作曲

「からたちの花」の作者として知られる詩人、北原白秋によせる想いを述べたもので、曲は三つの部分から構成されています。

第一の部分:柳河・堀割のある風景
北原白秋の郷里、柳河は、街中を縦横に流れる堀割り、風に靡く柳の枝、水に浮かぶ花びら、白壁の長く続いた町並みなど、水郷として知られる詩情豊かな街 です。曲は尺八のソロに始まり、それに続くノスタルジックな小唄風の三味線に箏、十七絃が加わります。途中の三絃ソロは、派手な大薩摩風で、三絃奏者の腕 の見せ所となっています。
第二の部分:白秋・からたちの花
箏のソロから始まり、白秋の「からたちの花」を意識したメロディを取り入れ、ト長調に転じています。メロディが陰旋音階に変わったところで十七絃と尺八に受け継ぎ、第三の部分へ繋がっていきます。
第三の部分:祭りの太鼓
白秋の童謡「お祭り」「祭りの笛」に因み、民謡三味線風のにぎやかな合奏で締め括りを盛り上げていきます。

1989年作曲

箱根八里変奏曲(はこねはちりへんそうきょく)/野村正峰作曲

滝廉太郎といえば、名曲「荒城の月」とともに、日本近代歌謡史上に不朽の名を残す作曲家です。
箱根山の峻険を踏破する日本男児の心意気を歌った箱根八里もまた同氏の作曲ですが、明治調、漢文体の歌詞が平和的、文化的でないというのか、文部 省唱歌から除かれて久しく、当世の若者たちからは次第に忘れられてきた歌です。時代錯誤と笑う人もあるでしょう。でも戦前派の私、三つ児の魂百までともい うべき少年時代に培われた士魂には、忘れ難い歌のひとつです。変奏曲にして少女たちに演秦させたら、明治の日本人の稜々たる気骨の一端を偲ぶことができる のではないか・・・・複雑な思いが脳裏をかすめながらの作曲でした。

初春の調べ(はつはるのしらべ)/野村正峰作曲

1975年元旦の和歌山テレビ放映のため作曲したものです. 「南の空から笑い初む…」と、古典の「松竹梅」に歌われたように、薄明の元旦は、厳粛な低音をきかした尺八のソロ、十七絃の重厚な低音で明けます。そして 初清水が湧き出るような清冽な箏のトレモロから、初詣で、子供たちの遊び、獅子舞などの純日本調の正月の風物詩を展開してゆきます。(1975年作曲)

花かげ変奏曲(はなかげへんそうきょく)/野村正峰作曲

もともとは、 大村主計作詞、 豊田義―作曲の童謡 「花かげ」のメロディを、初級用の箏の二重奏に編曲した曲です。原作は日本古来の陰旋音階そっくりの、4・7抜きの短音階で、箏の昔ながらの調子がそのま ま使えます。 あまりに可愛いメロディなので、三絃も、十七絃も、尺八もと編曲の要望が多く、読者ならぬ愛好者の希望に押されて、つい編曲を追加しました。

花咲く峠道(はなさくとうげみち)/野村正峰作曲

岐阜県の恵那峡から飛騨路への途中に、加子母村という鄙びた村があります。秋たけなわのころの道すがら、道路の両側には、マリーゴールドやコスモスなど美 しい花が咲き乱れ、時おり見かける看板には「花とふれ愛」。旅行く人へ、愛の贈物をする村人たちの優しい心根に感動して、美しい景色と花と、優しい心への 感謝を込めた作品です。

1989年作曲

花サフラン(はなさふらん)/野村祐子作曲

寒い冬のさなかでも咲く丈夫なサフランの花、その花言葉は「私を信じてください」。  花の女神がその年最後の花として、たった一本だけ咲かせたという可憐な花。 「白い花に寄せて」「すずらんの歌」「菜の花畑にて」など、花詩集シリーズの作品です。 (1980年野村祐子作曲)

花と少女(はなとしょうじょ)/野村正峰作曲

琴の平調子とは何と簡素で何と美しい音階なのでしょう。琴を奏でるたびにこみあげる感動、琴の音楽を愛する人たちに共通の思いだろうと思います。たわむれに奏でた平調子の一節のメロディを展開して花と少女の対話をえがいてみました。

花二題(はなにだい)/野村祐子作曲

この曲は、平家物語より平忠度の花に寄せる二首の歌を主題とした歌曲です。
源氏の猛攻に俄かに都落ちする平家の武将・薩摩守忠度は、一旦都を離れたものの、歌道の教えを受けた藤原俊成卿のもとへ取って返しました。「か ねて詠みおいた歌の中より、もし一首でもまずまずの歌があれば、勅撰の和歌集に・・・」と百余首の歌を託すためでした。その後、千載和歌集には、よみ人知 らずとして「故郷の花」と題した一首が加えられました。

さざ浪や 志賀の都はあれにしを
昔ながらの山桜かな  (巻7)

忠度は、一の谷の合戦で討たれ、その箙(えびら)(矢をいれて背負う武具)には、「旅宿の花」と題した文が、結びつけられていました。

行き暮れて 木の下蔭を宿とせば
花や今宵のあるじならまし (巻9)

花も実もある武士の最期に、敵も味方も鎧の袖を濡らしたと、平家物語は語ります。

1988年作曲

花のうた(はなのうた)/野村祐子作曲

花を歌った曲より、「野ばら」「みかんの花咲く丘」「あざみの歌」「てぃんさぐの花」の4曲をメドレーとして編集した箏の二重奏曲。
琉球民謡の「てぃんさぐ」は「ほうせんか」のことです。

花嫁の歌(はなよめのうた)/野村祐子作曲

結婚披露宴でのお祝いの演奏のために選んだメドレーで、「花嫁人形」「花かげ」「瀬戸の花嫁」の独奏用アレンジです。両手を使った手法を多用して難易度の高い演奏法になっています。

遙かなりみちのく路(はるかなりみちのくじ)/野村正峰作曲

初めて訪れたみちのく路への感動から、歴史に残る人物や名跡を尋ねて、自らの作詞により遙かに寄せる思いを表現したものです。 白河の関を越え、西行や芭蕉の愛したみちのくをまず歌うのは秋のうた。桜散る晩 春訪れた、万葉集最後の選者と言われる大伴家持ゆかりの地、多賀城。夏草が茂る、草いきれの暑い日に訪れた平泉は、奥州藤原氏三代の栄華のあと、中尊寺の 金堂、毛越寺の大庭園。純金製の鶏を埋めたと伝えられるのが金鶏山。平泉で果てたと伝えられる源義経は蒙古へ渡りジンギス汗になったという説もあるとか。 福島県へ訪れた日は、家々の軒が埋まる程の大雪。みちのくの雪は津軽三味線を連想させます。

1980年作曲

都をば 霞とともに いで立ちし 大宮人の
歌まくら みちの奥へは 遠くして
はや秋風の 立ちしとか 越えゆけば
白河の関 もみじして 夕日悲しき

ちとせ経る 昔なりけり そのかみの
とりでありてふ 垣のあと 宿直(とのい)の武士の
てすさびの 玉(たま)章(ずさ)のあと 偲びつつ
たずぬれば 花吹雪する 多賀の城
歌(うた)人(びと)恋しき

こがね花 咲くと伝えし 金(きん)鶏(けい)の
栄華のあとも 朽ち果てて 夏草茂る
夢のあと 佇む人も 声しずか 見渡せば
蝦夷(えぞ)は霞みて 衣川(ころもがわ) 波のいざよう

軒高く 降りつむ雪の 重きにも
さいはての街 なつかしき 燈(ともし)火(び)くらく
道くらく 沓(くつ)の音さえ ひめやかに
ゆかしきよ この夜寒にも 琴の音は
格子に洩れぬ

春のうた(はるのうた)/野村正峰作曲

学校唱歌として親しまれていた歌から、春のうた4曲を箏二重奏のメドレーにしたものです。聞きなれたメロディを演奏しながら、自然に箏曲の楽しさを味わえるよう、リズム、和音、間奏や伴奏のアレンジに、楽しい合奏のテクニックが取り入れられています。  「春よこい」弘田龍太郎作曲 「春がきた」岡野貞一作曲 「春の小川」文部省唱歌「ちょうちょ」文部省唱歌

1969年編作曲

春の歳時記(はるのさいじき)/野村正峰作曲

春の詩情を誘う風物詩三つを組曲風にまとめた大合奏曲です。三絃の序奏に始まり、概ね三絃が主奏的ですが、高低二部の箏、十七絃、尺八各部に独奏、掛合いを配し、合奏の楽しさを味わえる曲に意図しました。

雪解水
雪国の春は、山々の雪解けに始まり、雪解水は川に注ぎ、濁流となって奔騰します。暗く長い冬からの解放感は、雪解水の溢れるような躍動によってもたらされます。
ひな祭に
くれない匂う桃の節句、ひな祭は、女性というよりは、女の子のお祭です。甘酸っぱい甘酒の味にも似た、幼き日のほのかな思い出、五人囃子の一人になって演奏しているような幻想が浮かびます。
春爛漫
桜がなくては春を語ることはできません。うららかな春の日、しづ心なく散る花を序奏に、春や今こそ爛漫。次第に高まる春の喜びは、華麗なフィナーレを導き出します。

1981年作曲

春の七草(はるのななくさ)/野村正峰作曲

旧暦一月七日の朝、万葉時代からのならわしでは、七種の若菜を七草粥にたきこんで、祝いや厄除けのおまじないにしたといわれます。早春の草原に、若菜を摘む乙女たちの姿を、三曲合奏形式の歌にした作品です。(1980年作曲)

おとめらが 袖ひるがえし  春の野に
摘むや 七草  せりなずな ごぎょう はこべら
ほとけの座 すずな すずしろ めでたやな

さわらびの 下(した)走(ばし)る水  色(いろ)映(は)ゆる 
緑もしるき 七草を   春の息吹(いぶき)と
たきこめて 幸多かれと 祈るなる

晴れの日に(はれのひに)/野村正峰作曲

成人式や結婚式などの、晴れの日を迎える女性をたたえて祝う詩を、歌った作品です。与謝野鉄幹の詩には「妻をめとらば 才長(た)けて 眉目(みめ)うるわしく 情けある」とあり、理想の女性像のひとつとして歌いこんでいます。 曲は新日本音楽といわれた、大正から昭和初期の箏曲作品のような雰囲気をもった、明 るくさわやかなスタイルに仕上げたものです。(1980年作曲)

あたらしき 人生(みち)いまここに  はてしなき 希望(のぞみ)とともに
晴れの日の よそいのかげに  涙せし 君うるわしき

あたらしき 心のうたぞ   つまごとの 調べにのせて
咲く花の  匂うがごとき  うるわしの 君に捧げん

あたらしき 盃あげて    もろともに 美酒(うまざけ)汲まん
才(さい)長(た)けて  情(こころ)もふかき  うるわしの 君をたたえん

飛騨の里(ひだのさと)/野村峰山作曲

合掌造りの民家や珍しい祭りで知られる飛騨地方(岐阜県)は、雪深い里で、民話が多く残されています。下呂は町の真ん中を飛騨川が貫流し、川の両岸に良 質の泉源を得て発展した町ですが、この川の両岸に石の塚が立っており、歌塚といわれています。この曲は、歌塚にまつわる悲しい民話をもとに書かれた作品で す。
昔、この里に歌のたいへん上手な二人の若者がおりました。庄屋さんには、おたみという美しい娘がおり、歌好きの庄屋さんは、この二人の若者に歌くらべを させて、勝った方を婿にすると申し渡しました。おたみは反対しましたが止められず、この両岸で歌くらべをすることになりました。二人は一昼夜歌い続け、つ いに冷たい骸になってしまいました。おたみは自分のために変わり果てた姿となった二人を深くあわれみ、尼となって終生その霊を慰めたといいます。二人の若 者を偲んで川の両岸に歌塚が建てられ、ここを詣でると歌が上達するといわれています。

1986年作曲

風雪(ふうせつ)/野村正峰作曲

忘却のかなたに押しやられた過去をかえりみれば、人生の哀歓はただ茫々たる一場の夢。この曲は、過去への郷愁でもない、明日への希望でもない、ただ過去へ の索然たる感慨と、住み難き現代への鬱勃たる慷慨を三管の尺八に託したものです。尺八三重奏は「滄溟」にゆづき2作目の作品です。

富士之国(ふじのくに)/野村正峰作曲・野村祐子共作

第24回国民文化祭しずおか2009 ~はばたく静岡国文祭~委嘱作品

富士は、古来、多くの人に信仰され愛されてきた。山頂からすらりとのびた稜線に、空の色や雲の造形は彩りを加えて、富士の姿をさまざまに変化させる。飛行技術が進んだ現代は、上空から富士を眺めることもできる。富士の美しさは、どこまでも、多くの人を惹きつける。
中国の古代思想家・孟子の言葉に「天の時」「地の利」「人の和」が説かれている。
今まさに羽ばたく「天の時」を得て、「地の利」に恵まれた富士の地に、「人の和」する祭典が開催される。これを祝し、富士に響く壮大な演奏となるよう願って、「富士之国」を捧げるものである。

2009年2月作曲 

その一 天之巻
富士は、静かに永遠の時を見守ってきた。天の時にあって、富士はますます輝きを増す。      
その二 地之巻
太古より大地にそびえる富士。四季折々の彩りのなか、雄大な姿は変わることがない。
その三 人之巻
多くの人々が富士のもとに集い、結ばれる。人々の和する喜びに、祭りは賑わう。

葡萄の樹のかげ(ぶどうのきのかげ)/野村正峰作曲

静かな秋のタベ、澄みわたった空に星がひとつ、またひとつと、きらめきを増してゆく情景を前奏にうつして、星月夜の葡萄棚の下で交わされる姉妹の会話を題材にした島崎藤村の美しい詩を、華麗にうたいあげる作品です。  曲は概ね3つの部分からなり、最初の部分では二長調を主調とした明るい旋律で、中間部ではイ短調を日本古来の伝統的な音階と調和させた音階、終楽部ではニ長調に再び転じ、歌は、親しみやすい女声二部で構成されています。

1966年作曲

たのしからずや はなやかに  あきはいりひの てらすとき
たのしからずや ぶどうばの  はごしにくもの かようとき

やさしからずや むらさきの  ぶどうのふさの かかるとき
やさしからずや にいぼしの  ぶどうのたまに うつるとき

かぜはしずかに そらすみて  あきはたのしき ゆうまぐれ
いつまでわかき おとめごの  たのしきゆめの われらぞや

あきのぶどうの きのかげの  いかにやさしき ふかくとも
てにてをとりて かげをふむ  なれとわかれて なにかせん

げにやかいなき くりごとも  ぶどうにしかじ ひとふさの
われにあたえよ ひとふさを  そこにかかれる むらさきの

われをしれかし えだたかみ  とどかじものを かのふさよ
はかげのたまに てはふれで  わがさしぐしの おちにけるかな

船泊て(ふなはて)/野村正峰作曲

いづくにか船(ふな)泊(は)てすらん 安礼(あれ)の崎(さき)
こぎ廻(た)みゆきし 棚(たな)無(な)し小舟(おぶね)
この歌は、柿本人麻呂と同時代の宮廷歌人、高市(たけちの)黒人(くろひと)の作で、持統太上天皇の三河行幸(702年10月頃)に随行のおりの歌です。 夕闇せまる遙かな大海原に、ひと筋の水脈(みを)をのこして頼りなげに漕ぎ去ってゆく小舟。船橋もないほどのその小さな舟は、今宵を何処の海上で過ごすことでしょう。作者の心の奥深くの陰影と、旅情というだけではすまされない、漂泊寂寥の姿が目に浮かぶような歌です。  この曲では歌を古典的なふしづけに仕立て、情景描写よりは作歌者の心理描写に重きをおいた器楽部分を加え、形式的には、前弾き、前唄、手事、後唄、後奏の伝統的な作風で書かれています。

1977年作曲

冬のうた(ふゆのうた)/野村正峰作曲

冬にちなむ唱歌5題をメドレーにしたものです。雪に覆われた白銀の世界、清らかな景色に心も洗われる気がします。寒さのなかにも澄み切った夜空の美しさ。 そして迎える年の初めの行事は、新しい年の喜びに満ち溢れています。誰もに親しまれてきた歌を口ずさみながら演奏を楽しんでください。「雪山讃歌」モント ローズ作曲 「冬の夜」文部省唱歌 「冬景色」文部省唱歌「お正月」滝 廉太郎作曲 「一月一日」上 真行作曲

1976年編作曲 

冬の歳時記(ふゆのさいじき)/野村正峰作曲

第一章 柊(ひいらぎ)の花
父母と暮らした家の思い出より。庭の一隅に植えてあった柊は、ギザギザの刺のような厚手の葉が、子供心には恐いように感じられたが、初冬の頃になると、何 時の間にか白い花つぎつぎと咲き、花びらがまた地面いっばいに散りしき、香ばしい香りがしていた。節分の頃だろうか、柊の小枝を鰯の目玉にさし、門口にか けておくのが「鰯の頭も信心から」といわれる厄除けのおまじないだが、私の家にはそういう習慣はなかった。ただ、いつも緑側から眺めた、夜目にも白い花の 思い出が、五十年もたった今、鮮明に蘇る。
第二章 虎杖笛(もがりぶえ)
若いころは冬がほんとうに寒かった。スイッチひとつで暖房がつく時代ではなからた。よほと恵まれた人以外は、外出に車は使えず、厚手のオーバーの襟を立て て、街を足早に歩いた。うらぶれた後姿を冷たい風が吹き抜けた。葉の落ちてしまった高い梢、電柱、電線までもが悲鳴のような音をあげて丸めた背中に襲いか かった。今でも、時おりこれを聞く日もあるが、人は、もがり笛という表現を知らない。
第三章 団欒(だんらん)
核家族化社会では、寒い冬の夜、一家がそろつて鍋物をつつき、他愛もないおしゃぺりに楽しい時をすごす習慣は稀になった。しかし、そういう生活が日常的たった頃の思い出のある人のためにこの一章を加えることにした。
第四章 銀嶺のかなた
俳句の歳時記にこういう季語はなかった。しかし銀嶺イコール雪山を考え、あえてこのタイトルを最終の章とした。何が銀嶺の彼方なのか? これは曲を鑑賞していたたくかたの自由な詮索におまかせしよう。

ふるさと民謡浪漫(ふるさとうたろまん)/野村祐子編作曲

よく知られている日本各地の民謡を、三絃を中心とする、箏、十七絃、尺八の合奏にしたものです。
まずは、「今年ゃ豊年だよ 穂に穂が咲いてよ 道の小草にも 米がなるよ」と、縁起のよい唄い出しの福島県民謡「相馬盆唄」。続いての、宮城県 での宴席にかかせない「さんさ時雨」は、しっとりとした名曲。尺八のソロは追分風、箏のソロは祖谷の粉挽き唄風のメロディを入れ、「土佐の高知の播磨屋橋 で 坊さんかんざし買いよった」と「よさこい節」。
「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」と、地名を唄いこんだ三重県民謡の「伊勢音頭」。ここに、私が地域の文化祭のために 作曲した「守山やまもり音頭」を加えました。賑やかなソロ合奏群の次は岩手県民謡の「外山節」、「わたしゃ外山の 日かげの蕨(わらび) 誰も折らぬで  ほだとなる」と唄われます。フィナーレには、
「やっしょーまかしょ」と、合いの手も華やかな山形県民謡「花笠音頭」。「目出度目出度の 若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」とめでたく唄い納めるメドレーです。

2007年1月

~ふるさと紀行~じょんがらの街(~ふるさときこう~じょんがらのまち)/野村祐子作曲

三味線は、16世紀後半、中国から琉球を経て堺に伝えられ、江戸時代に発展した楽器で、棹の太さ、駒や撥の大きさや材質など、好みの音色を求めた多くの 人々の工夫により、表現の異なる音楽が生まれました。中でも、激しい叩き撥が特色の津軽三味線は、力強い演奏で人気があり、撥さばきのテクニックは、この 半世紀ほどの間に急速に日本全国に広まりました。津軽三味線は、本来アドリブですが、その魅力を箏・十七絃の合奏の中に生かしながら、お互いのテクニック を発揮できるよう試みたものです。津軽三味線に限らず地歌三絃でも演奏は可能で、三絃の独奏部分は記譜にとらわれない自由なアドリブに挑戦してください。 学校法人菊武学園菊華高等学校箏曲部(愛知県)のために、「津軽三味線のための箏・十七絃三重奏曲」として作曲したもので、全国高等学校総合文化祭で演奏 され、優秀校東京公演(国立劇場)の栄誉に輝いた作品です。

1997年作曲

ふるさとの街にて(ふるさとのまちにて)/野村正峰作曲

飛騨高山は、高山祭と朴(ほお)葉(ば)味 噌で知られる民話の里です。山間の小都会で、冬は厳しく農作物の生産が少ないので手工芸が発達し、名高い飛騨の名工たちを生みだして、小京都とよばれるほ どの街になりました。幕政時代直轄の天領となり、今も代官屋敷の遺構が残っています。長野県で製糸産業が全盛の頃、飛騨から野麦峠を超えて働きに行った少 女たちの、女工哀史などでも知られています。 街のなかを宮川という清流が流れ、橋のたもとには朝霧がもやっている頃から朝 市に人々が集まってくる・・・、ふるさとの街への思いを歌った作品です。

(1978年作曲)

ふるさとのまちの  朝まだき  川霧は橋にもやいて  ともしびゆれぬ
咽(むせ)び音(ね)か  せせらぎの音(おと)よ   こころときめくは  そのせせらぎの音

ふるさとのまちの  坂の道   群(む)らだちし 杉の木立(こだち)よ  日光(ひかげ)静かに
ひともとの  そのひともとの  幹の太きに 年月(としつき)の重さよ

ふるさとの 古き城のあと  かわらぬは  野菊の小径(こみち)よ  夕陽は落ちぬ
草いきれ  草いきれして  そのかぐわしき  人を恋うるなる

やまなみの  彼方なる  そのふるさとよ  君はいま いずこにおわす

故郷のうた(ふるさとのうた)/野村祐子作曲

故郷をなつかしむうた「旅愁」「故郷」「埴生の宿」、そして豊かに変化する日本の四季の中でも、ことに美しい秋の景色を歌った「紅葉」の四曲をメドレーにしました。

編曲長唄越後獅子(へんきょくながうたえちごじし)/野村正峰作曲

長唄の越後獅子は、文化8年(1804)江戸の中村座の狂言に、三代目中村歌右衛門が演じる七変化の所作事のために、九代目杵屋六左衛門が作曲したと伝え られます。越後(新潟県)の名物、旅芸人の一座が、お国名物のおけさ踊りや、角兵獅子、布さらしなどの面白い芸を演ずるのを歌った曲で、当時流行の歌謡 や、地歌の越後獅子などが巧みに織りこまれています。長唄の原曲は、日本的な旋律と歯切れのよいリズムが好まれて、箏曲にも洋楽にも編曲され、和洋いずれ の側にもよく知られた曲です。
この編曲は、器楽曲として作曲したもので、序奏として、獅子舞の印象を描いた、十七絃と尺八の独奏的な創作部分をつけ、一般によく知られている「五段返 し」「さらし」の部分ばかりでなく「浜歌」や地歌の手事から組み入れられた部分なども加えています。三絃を軸にした、箏、十七絃、尺八の合奏の厚みのある 編曲です。この録音では、さらに鳴物も入れた華やかな演奏をお楽しみください。 1973年作曲

編曲長唄老松(へんきょくながうたおいまつ)/野村正峰作曲

原曲の長唄「老松」は、文政三年(1820年)に四代目杵屋六三郎が作曲したもので、芝居とは関係なく、母のます女の80才の祝いとして「ます」を「まつ」に通わせて撰名したものと伝えられます.
原曲は謡曲の同名の曲を長唄化したともいえますが、謡曲のほかに、奏の始皇帝が松の樹蔭に雨宿りをした際、松に太夫の位を贈ったという故事や、松の位を花魁の階級の松の位に結びつけて、廓(くるわ)情緒をうたう歌詞などが続きます。変化に富んだ曲想の面白さもあり、原曲のご祝儀の気分に、合奏の楽しさの狙いも含めて、サワリの部分を抜粋し、箏群に編曲してみました。
器楽曲に仕立ててありますが、三絃二上りには「神舞の合方」といわれる始皇帝の舞う厳粛荘重な部分、三下りになっては、廓の松の太夫が踊る軽快な手踊りの雰囲気の部分があり、演奏にも原曲の内容に応じた工夫があってよいと思います。  1986年作曲

編曲長唄京鹿の子娘道成寺(へんきょくながうたきょうかのこむすめどうじょうじ)/野村正峰作曲

「京鹿の子娘道成寺」は、紀州道成寺の縁起に伝えられる修行僧安珍と清姫の灼熱の恋の物語をもとに、宝暦3年3月(1753)杵屋弥三郎によって作られた と伝えられています。三味線音楽のなかでも長唄、清元、常磐津、義太夫など、歌舞伎と関わりのある分野では曲の相互関係が多いのですが、この娘道成寺も、 謡曲から地歌へ、長唄へと、同じ素材をもとにした曲が数多く作られました。この道成寺もののなかでも人気の高い「京鹿の子娘道成寺」から、器楽の面白い部 分を抜粋し、三絃に箏2部、尺八を加えた編成で、合奏をお楽しみいただくようまとめた作品です。

1965年編作曲

編曲長唄小鍛冶(へんきょくながうたこかじ)/野村正峰作曲

① 原曲の長唄小鍛冶は、天保3年(1832)6月、江戸市村座の所作事のため、二代目杵屋藤五郎が作曲したもので、名工小鍛冶宗近が神の御加護で夢うつつの うちに、名刀「小狐丸」を鍛える謡曲の筋書きを取り入れています。この編曲では、三絃はほぼ原曲に忠実な手法とし、刀を鍛える鋭い槌の響きや、砧地、長唄 の鳴り物の細かい手法の表現に、双調高調子の箏を活躍させ、尺八は笛の雰囲気、十七絃は夢うつつの情景の表現で主奏する構想となっています。

1992年 編作曲

編曲春の海(へんきょくはるのうみ)/野村祐子編曲

箏の曲で誰しも憧れ、世界的に有名な宮城道雄作曲の箏・尺八2重奏「春の海」。この曲を、箏のみの合奏で演奏できるようにしました。低音箏は原 曲通りで、尺八パートのかわりに高音箏を加え、さらに幅広い音域の合奏となるよう、十七絃パートを加えました。箏十七絃の三重奏で、「春の海」の新たな合 奏をお楽しみください。

2007年10月編曲

編曲みだれ(へんきょくみだれ)/野村祐子編曲

次の「六段の調べ」と同様の意図で編曲したもので、オリジナルの「みだれ」を、箏・三絃・十七絃・尺八の多重合奏でお楽しみいただけることでしょう。合奏の人数に応じて、本手・替手、楽器の組み合わせを工夫してください。
「六段の調べ」と同じく八橋検校の作とされていますが、「箏曲大意抄」という文献で、この曲が初めて八橋検校の作曲と記述されたのが1779年、 1822年刊の別の文献には倉橋検校作ともあるそうで、八橋検校(1614~1685)の生没年とも考えあわせると、「みだれ」も八橋作とは断定できない ようです。曲名に関しても「みだれ(乱)」「みだれりんぜつ(乱輪舌・乱輪説・林雪)」、あるいは「十段の調べ」など、流派や地方によってさまざまな異同 があります。

※文献資料は、吉川英史・平野健次各先生の著書を参考にしました。1995年編曲

編曲六段の調べ(へんきょくろくだんのしらべ)/野村正峰作曲

箏曲「六段の調べ」は、一般的には八橋検校(1614~1685)の作とされていますが、文献では、八橋の高弟北島検校の門人である、生田検校 (1658~1715)の教則本の中にあらわれるのが初めとされ、作曲者は断定されていないようです。ともあれ、純音楽としてバッハ以前に誕生した箏の独 奏曲で、三百有余年後の今日までの長い生命力をもつ名曲です。伝承の間には、独奏曲としてだけでなく、三絃、尺八、箏替手、時には管弦楽にも編曲されてい ます。
本来の演奏では、箏は低音の平調子に調絃されますが、日常でのお稽古でも演奏しやすいように、D(壱越)を基準とする平調子での合奏を可能にした編曲で す。三絃(二上がり)、十七絃、尺八を加え、厚みのある合奏に収録しました。それぞれの楽器同志でも本手・替手の合奏が楽しめ、また、本手・替手に自由な 楽器の組み合わせができるよう、多目的な編曲にしました。いろいろな合奏をお験しください。

1995年編曲)

弁才天めぐり(べんざいてんめぐり)/野村正峰作曲

日本では古来、福運、ことに財運を招く神として「お稲荷さん」とか「弁天さん」が信仰されています。現世利益を願うのは人の世の常、信仰する人の願いを 叶えてくださるのは、大変ありがたいことです。この曲では、日本三大弁天とも称せられる、神奈川県の「江の島」、滋賀県琵琶湖北辺の「竹生島」、広島県の 「厳島」の弁天さまにスホットをあて、それぞれの弁天さまに参詣した印象を簡潔な詩にまとめ、歌曲として発表してみました。滋賀県のびわ湖放送の企画によ り作曲したものでもあります。
「弁天」とは、もともと、印度の「サラスヴァティ」という河の女神が、日本に伝わって訳語としてあてはめられたものですが、印度古代の聖典には「一切世間の母、富と食と子孫をもたらす女神」と説かれています。

江の鳥の弁天さまは、裸身に琵琶を抱えた、いかにもやさしい美しい姿で、江戸時代から歌舞伎、音曲にたずさわる人の信仰が篤かったといわれます。この形の弁天さまは、「大日経疎」という密教系の経典に説かれる姿です。
竹生島の弁天さまは、六十年に一度のご開帳ということで、そのお姿はつまびらかではありませんが、「金光最勝王経」の出典の、弓、失、刀、芹など八種の武器を八本の手に持った厳めしい形ということです。
平家隆盛の運をもたらしたといわれる厳島神社では、弁天様は、神社の管理をされる神様ということで、神社の境内に隣接したお寺に祭られていますが、その お姿は秘仏として公開されることがありません。それぞれの弁天さまにまつわる伝承の一端を詩に紹介しているのですが、詳しくは、いつの日かこれらの地に参 詣し、訪ねていただきたいものです。
弁天さまは「弁財天」と書かれることが多いのですが、これは凡俗の財への執着が才と財におきかえてしまったものでしょう。本来は前に述べた河の女神であるとともに、言語すなわち文芸守護の神という性格を併せもつ神なので「弁才天」というのが正しいのだそうです。

蓬莱島縁起(ほうらいじまえんぎ)/野村祐子作曲

中国の伝説にあやかり蓬莱とも呼ばれた尾張名古屋にまつわる歴史から、名古屋三曲連盟定期演奏会の合同曲として作曲されました。

  • 長寿縁起:仁明天皇時代、熱田神宮の楽人、尾張連浜主は114才の長寿の人物で、 御前にて自作の舞「和風長寿楽」を少年のごとく軽やかに舞い、天皇御感あつく 感激させたと記述されています。
  • 英雄縁起:日本史に名を残す三英傑。信長、秀吉、家康。天下布武の道を前に して本能寺に亡んだ信長。そのあとを受け継いで天下統一を目指し太閤となった秀吉 。関が原の戦いに勝利して江戸へ幕府を開いた家康は、名古屋に金鯱城を造営させました。
  • 芸どころ縁起:尾張藩主徳川宗春は独自の政治考察から芝居興業などを推進し、芸能 活性化、尾張藩の繁栄を招きましたが、治世は短く僅か数年で隠居。しかし、 その歌舞伎もの精神は、名古屋芸どころとして、受け継がれているようです。尾張 藩士、横井也有は平曲もたしなむ俳人で、地歌茶音頭の原作詞者です。

星降る宵に(ほしふるよいに)/野村祐子作曲

ギリシャ神話の神々たちが星座となって輝く夜空。伝説の英雄オリオンと、オリオンに噛みつくさそり。美しい姫カシオペアはW型、十字架の形に並ん でいるのは白鳥座・・・・。降りそそぐような星空を眺めていると、夢は夜空いっぱいにひろがっていきます。  星降る宵の感慨を三つの楽章にまとめたもので、第1楽章は星の輝きを流麗なメロディで、第2楽章では、降りそそぐ星のひとつひとつの光を積み重ねていく ような演奏法。第3楽章はリズミカルな伴奏にのって、ハーモニーとなったメロディを奏でます。(1980年野村祐子作曲)

炎の舞(ほのおのまい)/野村祐子作曲

天正11年4月(1583)、羽柴秀吉と戦った柴田勝家は、賤が岳の戦いに敗れ、越前北の庄(福井)で城を枕に討死しました。織田信長の妹、お市の方 は、はじめ政略結婚で近江の浅井長政に嫁ぎましたが、天正元年、浅井氏が信長に滅されて以来、織田家に戻り、信長が明智光秀によって本能寺で討たれたのち は、柴田勝家の許へ再度嫁いでいました。
二度の結婚がいずれも天下制覇の野望のいけにえとなった運命を悟ったのか、お市の方は秀吉軍の助命の勧めをしりぞけ、勝家とともに落城の炎の中に身を投 じるのでした。長政との間に生まれた娘たちは城から送り出されて、姉は秀吉の側室淀君となって秀頼を生み、末の妹は徳川2代将軍秀忠に嫁して日本の歴史の 上に偉大な血筋を残してゆきます。炎上する城と運命を供にした、数奇な運命への哀惜だけでなく、愚かな人間の業によせる屈折した情念を表現しようと試みた 作品です。

1984年作曲

微笑み(ほほえみ)/野村正峰作曲

笑顔は世界共通の平和と友好の証しであり、お互いの愛の心の表明です。
"微笑みかわそう"
"どんなに悲しくても、苦しくても微笑みを忘れな
いで"
愛の心はおのずから顔を綻ばせます。たとえ、あなたの笑顔が、世界を動かすことはできないとしても、あなたの周囲に安らぎと幸福をもたらしてくれることでしょう。

1984年作曲

炎(ほむら)/野村正峰作曲

淡海のうみ  夕浪千鳥  汝が鳴けば
心もしのに いにしえ思ほゆ
(柿本人麻呂)

万葉集、古都への想いを歌った柿本人麻呂の歌に、激しい心のほのおを感じ、その本質に迫ろうとした作品です。望郷の思いだけではない、心ならずも別離の 運命となった佳人への思い、動乱の世紀に生きた歌人は、「夕浪千鳥」の鳴く声に、忘れがたい思いの再燃を「心もしの」と歌ったのではないでしょうか。古典 的な発想とは対照的に、作品のスタイルはモダンな音階とリズムでつづり、特に形式にはこだわらず、幻想曲風に書きあげました。

1977年作曲

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