曲目解説 - 正絃社

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曲目解説(や行)

八重垣(やえがき)/野村正峰作曲

やくも立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を

古事記上巻には、日本最古の歌として、須作之男の命が出雲を平定し、須賀宮という宮殿を造営された時、雲がさかんに立ちのぼって瑞兆をあらわした のを祝って、この歌がよまれたと伝えられています。出雲神話の伝承には謎が多いので、この歌は古代の祝婚歌として民衆の中で自然発生的に語いつがれて伝承 されたと考えていいでしょう。この物語を発想として書いた祝典器楽曲としたもので、同名の生田流古曲とは別の曲です。

1979年作曲

屋形船(やかたぶね)/野村正峰作曲

交通機関の発達していなかった江戸時代には、河川、湖、海を利用する舟での交通が唯一の大量輸送の手段でした。ことに大きな河川には橋を架けることができ なく、渡し舟は政治、経済、軍事、すべての面で人々の生活と密接につながっていたとおもわれます。勿論、中産階級のお楽しみに、舟を利用することも多かっ たようです。都会地で発達した三味線音楽には、舟での川遊びの清興をうたった曲や、ある特定のパターンの演奏技法で、川とか水の流れとかを連想させる表現 法とかが多く見受けられます。

夜光杯(やこうはい)/野村正峰作曲

葡萄の美酒、夜光杯(やこうはい) 
飲まんと欲(ほっ)すれば、琵琶、馬上に催(うなが)す
酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)すも君笑う(わらう)莫(なか)れ
古来征戦、幾人か回(かえ)る

この詩は中国唐代の詩人、王翰(おうかん)の詩で、涼州詩と 題されています。涼州というのは中国西方の地方、いわゆる西域といわれる地方の出入り口で、敦煌や酒泉などの街のある所です。唐の玄宗皇帝(楊貴妃を溺愛 して反乱を招いた)は、音楽好きで、ことに新しく珍しい西方の音楽を好み、これに漢語の歌詞をあてはめて歌わせるのを好んだといわれます。皇帝指導の歌舞 団のことを「梨園(りえん)」といったのが、今の日本の歌舞伎界の俳 優たちのことを言う時に使われるようにもなっています。この詩は、臣下から献上された詩の中でも、ひときわ光彩を放ったことでしょう。時代は中国の開元年 間(713~741年)のようです。西方の辺境に戦雲が垂れ込め、都からも多数の将兵が派遣されています。砂漠の戦場で、兵士たちは大地に寝転がって休 み、西域特産の葡萄酒を飲もうとしています。そこへ通りかかった馬上の人は琵琶をかついでいて、まるで「早く飲め」と催促するかのように琵琶をかき鳴らし ます。兵士たちは「戦争にかり出されてきたからには、どうせ生きては帰られないんだから、砂漠で酔っ払って寝転がっていたとて笑わないでくれや」と、夜目 にも輝く杯を高くあげる・・・こんな内容のやりとりが感じられませんか。砂漠の戦場、葡萄酒、夜光杯、馬、琵琶などの情景設定が、まことに詩的、ある意味 では今日(こんにち)的でさえあります。そして最後の句「古来征戦幾人か回(かえ)る」に痺(しび)れます。七世紀前半の頃、西域には中近東からの文明が入っていて、ガラス製造の技術があったらしいこと、兵士たちでさえ、そのコップで葡萄酒が飲めたということは、日本人にはある種のカルチャーショックでもあります。ただし、この杯は西域特産の玉(ぎょく)で造られたものという説もあります。「ああ玉杯に花受けて」ともいいますから。今は国営工場でお土産用に玉杯を量産していますが、私は玉の研磨は容易なことではないし、夜光に反射してキラキラ光るとしたら、ガラス製の方が似つかわしいと思うのですが・・・・

やまなみ(やまなみ)/野村正峰作曲

高原の宿でのさわやかな朝の思い出は、遥かに望み見た山々の重なりあう情景となって瞼に浮かび、深い懐かしさと、さすらいの旅への憧れの心を呼びさましま す。一般に長音階的な調絃と考えられる陽旋音階系の調絃の箏群を、短音階、ことに終止形を意図的に自然音階風に使う序章に始まり、まず「やまなみ」への憧 れの思いを述べ、ついで無調性風の音階で「さすらい」の心を描こうと試みます(この部分は各パートの独奏としてもよい)。
終章では、短音階の2度と6度のない五音音階の日本民謡風の音階で、快活に「山の歌声」を謳いあげています。

弥生の曲(やよいのきょく)/野村祐子作曲

日本の音階である陰旋音階の美しさ、やさしさを箏、十七絃の合奏に表現しようとした曲で、特に箏の手法には、流し爪、輪連、消し爪などの箏曲古来の奏法を取り入れ、自然に多くの箏の手法が身につくよう工夫されたものです。

1980年野村祐子作曲

夕やけ小やけ変奏曲(ゆうやけこやけへんそうきょく)/野村正峰作曲

中村雨虹の詩に草川信が作曲した同名の童謡曲を、箏曲初級用の変奏曲に編作したものです。和声的な部分、楽しいリズムを配した部分、押し手だけで できる簡素な転調、音色の変化の味わい、やや高度なテクニックの要る第二箏や、尺八との合奏の面白さなど、多目的な配慮を含めた編曲です。

雪椿(ゆきつばき)/野村祐子作曲

雪椿の自生地、秋田県男鹿半島に伝わる、南国の青年と、椿港の乙女との悲恋物語から、雪に覆われた白銀の世界と、悲恋の紅の花への想いを込めた箏二重奏曲。

雪のうた(ゆきのうた)/野村祐子作曲

「雪」をうたう歌より、文部省唱歌の「雪」、チェコスロバキア民謡の「雪のおどり」、山田耕筰作曲の「ペチカ」を、箏のやさしい二重奏にしました。前奏や間奏には雪の降るイメージを表現しました。

1998年編曲

雪の夜の物語(ゆきのよのものがたり)/野村正峰作曲

寂しく心細い雪の降る夜、囲炉裏端に集まって昔話に花をさかせる家族のほのぼのとした情景を描いた作品です。幼い頃のわらべ唄、お祖母さんに聞いたお伽ば なし。吹雪が裏木戸をトントン叩き、風は雪女の悲鳴のよう、減入るような犬の遠吠え、あれは狼かしら・・・などと、雪の降る夜は淋しいけれど、みんながい るからこわくないよ。さあ、お話しましょ、夜の更けるまで。

1976年作曲

逝く春(ゆくはる)/野村正峰作曲

万葉集巻十九、大伴家持(おおとものやかもち)の有名な三歌を素材に 作曲した歌曲。うらうらとのどかな春の日を思わせる、雅楽風な序奏に始まり、古典箏曲風、吟詠風な歌に、短い手事風な部分を挿入しつつ、忍びよる大伴家の 暗い運命を示唆するかのような転調を印象的にくり返し、孤独を象徴する静かな終わりを迎えます。

1974年作曲

春の野に 霞たなびきうら悲し
この夕かげに 鶯鳴くも
わがやどの いささむら竹吹く風の
音のかそけき この夕かも
うらうらに 照れる春日(はるひ)に雲雀あがり
こころ悲しも 独りし思えば

【大伴家持について】
大伴家は、奈良時代末期、天平年間に中央政界に活躍した名家でした。時の権力者、藤原仲麻呂とその反対派との間の勢力争いにまきこまれ、はては反 逆者の汚名をきせられて、没落の途を辿った悲運の一家でした。大伴家持は当時の大伴家の統領としての重責ある地位にあり、しかも孤立無援、一家の衰運をど うすることもできない苦境にあって、『かなしみの心、歌にあらずばはらいがたし、よってこの歌をつくり、もってむすぼほれたる心をのぶ』との心情をこの三 歌に託しています。天平勝宝五年(紀元753)、家持三十六才。憂悶にうらづけられた春愁孤独の思いが、深い共感を誘います。   

夢キラリ(ゆめきらり)/野村祐子作詞作曲

多くの人との絆、未来の夢への願いを込めて、「夢キラリ」は、(公財)滋賀県文化振興事業団【夢キラリ文化基金】により 平成26年3月、長浜市曳山博物館伝承スタジオで開催された、滋賀県高等学校箏曲部の《平成25度夢キラリ文化基金コンサート》のテーマ曲として作曲され、「高等学校箏曲部滋賀県合同チーム」によって発表されました。

(2014年1月作曲)

夢はマーチにのって(ゆめはまーちにのって)/野村祐子編作曲

クラッシックの名曲から行進曲を選んで抜粋し、メドレーとしました。
まずはシューベルトのピアノ連弾曲より「軍隊行進曲」。つづいて、チャイコフスキーの三大バレエのひとつ、「くるみ割り人形」から、衣装をもらった子供た ちが、無邪気に喜びながら衣装をつける様子を表した「行進曲」。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」は、シェイクスピアの戯曲をもとにした「真夏の夜の夢」 の中の結婚シーンですが、現在の実際の結婚式で、よく使われています。人気のあるオペラのひとつ、ビゼーの「カルメン」からは「闘牛士の行進」。最後に選 んだ曲は、ヨハン・シュトラウスⅠ世の、「ラデッキー行進曲」ですが、この曲はコンサートのアンコール曲に頻繁に使われる名曲です。途中挿入の「海のマー チ」は、私の作品「水族館の一日」から「海の生物のうた」を、生きることへの賛歌としてマーチ風にアレンジして加えました。

2005年1月編作曲

楊柳の曲(ようりゅうのきょく)/野村正峰作曲

中国・唐の時代は、詩作の黄金時代で、唐詩選の中には、「楊柳」という詩句がよく見られます。日本で桜が愛されるように、中国人は楊柳を愛し、郷愁を感じ て詩にうたい込んだものでしょう。唐の人たちは、友や愛する人との別離の悲しみを、楊柳の枝を折って嘆き、「折楊柳曲」という笛の曲に託しました。楊柳の 枝を丸く折り曲げて環にし、「きっと還ってきてください」環が還に通じるようにと祈ったのです。この曲は中国の呂旋音階を取り入れ、楊柳に寄せて、情景、 回想、別離の思念を描いています。

1976年作曲

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