【303号】「野村正峰作品展」を前にして/野村祐子 - 正絃社

【303号】「野村正峰作品展」を前にして/野村祐子

父の趣味その1

'90年「春の公演」にて
'90年「春の公演」にて

読書好き。父の蔵書には、文学全集、歌集、歴史、推理小説、SFなど多くの書物があり、父の部屋で見つけた本を、拾い読みしているうちに私も夢中になり、毎月、新刊が出るたびに、どちらかが先に買って、廻し読みするシリーズ本もありました。

このように、いろいろな本を読み漁る父でしたが、若かりし日に愛読した島崎藤村、土 井晩翠などの詩集からは、「宮城野」「葡萄の樹のかげ」などの歌曲が生まれました。

古典文学のなかでは万葉集の素朴な心情を表現した歌が好みで、万葉集を題材にした作曲には、「紫の幻想」「わだつみ」「熟田津」「船泊て」「秋の七種」「錦秋」「深山の春」「逝く春」などがあります。
日本史からは、NHK大河ドラマの題材になった「八重の桜」の白虎隊で有名な地、「会津の残照」、後醍醐天皇や楠木正成で知られる「美吉野」、西行法師の歌による「きさらぎ」、藤原俊成の歌よりの「たまゆら」、奥州藤原三代を偲ぶ芭蕉の句による「夏草の賦」などがあります。演奏旅行などの折に、少し時間を割いて、こうした史跡を訪ねていたのも作曲への手がかりになっていたようでした。

ぎっしり本が詰まった父の書斎
ぎっしり本が詰まった父の書斎

また、中国の歴史が好きで、『三国史』『唐詩撰』などを、常に手元においていました。処女作の「長城の賦」はじめ、「五丈原」「胡笳の歌」「楊柳の曲」「流星」「曠野にて」「夜光杯」「桃李の郷」など、どの曲も深い思いの題材です。壮大な歴史の夢を、雄大な中国大陸へ寄せて書いたことでしょうか。
作曲の実益にも生かされた趣味の読書でした。

父の趣味その2

ゲーム好き。私が子どものころ、ゲーム好きな父は、少し時間があると、気晴らしと称してパチンコ店で稼いで?いたようです。しかし、遊んで稼ぐお金は遊びに使うポリシー。戦利品はもっぱら子どもたちへのお菓子やおもちゃになりました。
見返りのあるゲームが流行るのが名古屋の特色のようですが、昭和50年代に、大流行したのが、喫茶店に設置された景品付のゲーム機。なぜかゲームに強い父は、百円玉をいくつか(かなり?)投資。景品のハンドバック、ネックレスや財布、ベルトなどを手に教室へ戻り、お稽古に励むお弟子さんたちのご褒美にと、皆を喜ばせることの大好きな父でした。

父の趣味その3

平成11年合宿のゲーム大会で楽しむ正峰
平成11年合宿のゲーム大会で楽しむ正峰

麻雀好き。父が作曲に行き詰まったときなどは、察しの良い母が、父のその顔色を見て家族を呼び集めます。
『さあ、お父さんの慰労会よ。』
作曲とは違う頭脳を使ったゲームに没頭するおかげで父は気分回復、父の仕事の手助けになると信じて?家族で楽しんでいました。決して賭け事はしないで、純粋に勝ち負けを楽しむ麻雀でした。
著名な演奏家、プロデューサー、邦楽評論家の方々にも同好のかたが結構あるもので、よく我が家の雀卓を囲んでいただいたものでした。

楽しい稽古

昭和54年東北正絃社定期公演にて箏を演奏する父
昭和54年東北正絃社定期公演にて箏を演奏する父

父は、自分が夢中になって真剣に弾くあまり、稽古相手が自分の思うように弾けないと、つい怒り出してしまい、お弟子さんたちから『正峰先生のお稽古は怖い。』と恐れられていましたが、父は常々、『上手になって欲しいからこそ、注意するのだ。』と言い訳?していました。

穏やかな性格に見えるわりに父は意外と気短で、相手の性格に合わせて教えるという気長な指導者ではなく、常に自分のペースの稽古に相手を巻き込んで、自分が弾くのに夢中になる父でした。私は父と合奏の気がよく合い、間違えた時などに弾き直す段落の場所も、言われなくてもすぐに察知して、ついて弾き始めるので、父も調子に乗って弾き続けていました。

正峰作品CDの数々
正峰作品CDの数々

「五段砧」を合奏したときなどは、曲の終わりで最後の音を弾く前に、
「もう降参、降参。」
と、笑って終わってしまいました。速い曲を合奏すると、
「こんな速い曲にはついていけんなあ。」
と、両手を上げて、
「参った、参った。」
万歳のポーズで誉めてくれるので、私は有頂天になり、次はどんな曲を合奏したら父をまた困らせることができるかと思い巡らしたものでした。
いつでも思い出すのは、曲の速さを自由自在に操るように合奏する父の音楽作りの面白さ、この楽しさを教えてくれた父があったからこそ、私は箏を続けてこられたと感謝しています。

父の多様な?趣味から生まれた名作の数々の紹介を、『野村正峰作品展』演奏会として、今後もたびたび続けたいものと願っております。皆さま、どうか、応援お願いいたします。

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