【349号】うたまくら 創立六十周年記念御園座公演に向けて - 正絃社

【349号】うたまくら 創立六十周年記念御園座公演に向けて

創立六十周年記念  御園座公演に向けて       野 村 祐 子

 この正絃社会報が「うたまくら」と命名されたのは、昭和35年11月号です。それまでは「正峰会会報」として、創刊号が昭和34年4月に出されています。

 

創刊に当たって  正峰
 会員相互の親ぼくをはかり、連絡機関として会報のようなものを作りたいと思っていました。
 今度ようやく実現するに辺り感慨深いものがあります。私自身かなり忙しい毎日を送っていますので、充分な編集も出来ませんし、又、費用などの点で会員の皆さんに負担になるようなことは、避けたいと思っていますので、対外的にはお見せするのも恥ずかしいような体裁の悪いものですが、当分の間、この形式で御辛抱願いたいと思います。

 ただ内容としては、いやしくも尺八、箏曲を学んでいるものとして、常識程度に心得ていた方がよい問題も含め、会員の投稿なども大いに期待して充実をはかりたいと思っています。
 この会報が皆さんの発言の場、研究の場としても愛され、活用されるようお願いする次第です。(後略)』

UTA349 01

初えびす新春コンサート


と、すべて手書きの誌面で会員の昇格、新入会員紹介、活動日記、随筆、曲目解説、楽典講義、次年度の事業計画などが書かれていました。
 また、昭和35年(正峰会発行)の発行では「うたまくら」として前号で会報名を募集したところよい案がなかったので、箏歌から引用して「うたまくら」と命名した経緯が書かれています。
 昭和37年からは活字となり、守山自宅での准師範試験要綱も載せられ、勉強熱心な様子が伺えます。昭和37年8月号には父の体験談が載せられています。

 

『庭に夏草の茂るころになるといろいろなことを思い出す。
 終戦の年の八月、私は、陸軍士官候補生として北満州(現在の中共)の杏樹飛行場で操縦訓練を受けていた。東京近辺の飛行場が米軍の頻繁な空襲を受けて、訓練用には使えなくなったので、航空士官学校の操縦部門を埼玉県から満州に分散疎開することになったためであった。
 現代の二十歳前後の方には「疎開」などということばも理解出来まいし、「杏樹」などいう所がどこにあるのやらも知る必要もないことだが、杏樹は北満の牡丹江と佳木斯(チャムス)の中間あたり、起伏果てない大草原の只中にある開拓部落で、ソ満国境に数十キロ、関東軍健在なりし頃は(関東軍は、当時南方に移動してしまい、弱兵と老兵の留守部隊ばかりとなっていた。)精鋭を誇る戦闘機隊の重要な作戦基地となっていたところだった。
 北満の四、五月はまだ冬できびしい寒さだが、七月の声を聞くと一度に春と夏がやってくる。コンクリートの滑走路以外は高原の花畑のように百花繚乱と咲き乱れて、天と地が緑の地平線でつながっていた。
瞼に浮かぶあの風物は、日本の内地のどこにもみあたらないものだ。
 夜ふけて、飛行場の監視塔にのぼれば満人部落のどこからともなく哀切な胡弓のひびきが聞こえて、しきりと郷愁をそそり、この空の下の何処に戦争があるのかとさえ疑うひとときもあった。
 当時の私の所属は「単発襲撃機隊」だった。
 航空は整備、通信、操縦の三部門にわかれるのだが、パイロットは適性の厳密な検査にパスしたものから、さらに操縦同乗訓練ののち不適性なものを機上整備、気象、航法用員としてふるい落としたのち決定される。こうして憧れのパイロットとなった候補生たちは、更に偵察、爆撃、戦斗、襲撃の四班にわかれ、双発機か単発機かにきめられる。
 襲撃機というのは急降下爆撃、艦船の雷撃、超低空対地攻撃専門の、危険率の一番高い飛行機で特に単発のものは、てっとりばやく言えば特攻機のことである。

UTA349 02

訓練中の野村穣(正峰)

 私は今になって、私が当時平和主義だったとか、反戦主義だったとかいうような厚かましさは持ち合わせていない。だが、「敵を倒すこと以外は考えるな」という厳しい教育方針できたえられた時代ではあったが、藤村詩集を飛行服に忍ばせたり、自習机に花を飾ったりして、情操なき教育にささやかな抵抗を試みたのが文弱派としてマークされた結果、札つきの候補生(営倉や禁固の経験者)どもの集まる襲撃隊にほうりこまれたらしかった。
 それでも数十時間の教官同乗から解放され、単独飛行に飛び立った時の大空で味わった解放感は、そんな地上のゴタゴタを忘れさせてくれるのに充分なものだった。
宙返り、横転などの特殊飛行から、編隊飛行の楽しさは、ハイウエイドライブどころの比ではない。着陸に自信を失って着陸復行(着陸寸前に着陸を中止して上昇しもう一回りしてから降りる。)を七回やって降り立った時、ガソリン泥棒と言って私をなぐった教官もいた。人間の命よりガソリンが惜しかった時代だ。
 あれから十七年、私も一風かわった人生をひらいてきた。十三歳のとき、未来のゼネラルに憧れて陸軍幼年学校に入った少年は、今果たして何をか夢見るや。夏の夜の夢は果てしない。』

 

 現在の世界情勢、ウクライナやパレスチナの人々は、どのような毎日を過ごされていることでしょうか。はやく平和な社会になりますよう祈るばかりです。
日常の生活の有難さ、平和の大切さを深く心に留め、皆様とともに、音楽で表現できますよう邁進していきたく思います。
どうか、よろしくお願いいたします。


箏曲正絃社創立60周年記念
「御園座」公演

日 時 令和7年9月23日(火・祝)
    第1部 11時開演(予定)
    第2部 13時半開演(予定)
    第3部 16時開演(予定)

会 場 御園座

特別ゲスト(五十音順)
  小田 誠 菊重精峰・絃生 菊武厚詞・粧子 水野利彦 山登松和 米川敏子 

尺八ゲスト 
  野村峰山(人間国宝) 藤原道山
  (竹の新撰組)友常毘山 瀧北榮山

歌(テノール)能勢健司

芸能解説 葛西聖司

このページのTOPへ