【309号】春の公演へようこそ/野村祐子
温故育新~古きをたずね、新しきを育む
2015正絃社創立五十周年記念
春の公演へようこそ 二代家元 野村祐子
~4年ぶりとなりました春の公演、正絃社創立五十周年を振り返りながらご紹介させていただきます。~
・今回の見どころ聴きどころ
多彩なゲストより、まずは司会の葛西聖司氏。長年、日本の伝統芸能番組に携わってこられた経験豊富なお話は、一昨年の「野村正峰三回忌作品鑑賞会」にてもご周知のとおり。今回も、皆様の邦楽の知識を広げ、造詣を深める機会となることでしょう。
司会の葛西聖司氏
私たちは普段、四角い琴爪を使う生田流ですが、丸い琴爪の山田流、七代目山登松和先生の聴きどころは歌。野村正峰作「きさらぎ」と、今回の「春の公演」では初お目見えの「御茶紀行」、どのようなお声で歌われるでしょうか。
山登松和先生との「きさらぎ」
そして、耳だけでなく目もお楽しみいただく「黒髪」。地唄舞・山村流は所作の美しさが見どころ。山村楽乃師匠の美しい姿。「踊り」とは違った、動きの少ない「舞」の美しさをご堪能ください。
きりりとした山村楽乃師匠
全国を飛び回り、現代箏曲界大人気の水野利彦先生を囲む正絃社の「乾坤歌」「青い桜」演奏陣は、練習ばかりでなく懇親の場を度重ねたチームワークです。
箏曲との合奏に欠かせない尺八メインプレーヤーには、関西のホープ永廣孝山氏と野村ファミリーでお馴染みの野村峰山氏。両氏を支える都山流尺八の面々も関東、地元中部、関西から馳せ参じたキャリア揃いです。
水野利彦先生と永廣孝山氏
また、今回は舞台右横の壁面に、字幕を用意しました。演奏に合わせて歌詞をご覧いただけます。
・正絃社五十年を振り返り
私が物心ついたころ、母が指導する都通教室は幹線道路に面したカメラ店の2階、現在の正絃社本部に近い新栄教室も、広小路通南側の写真屋の2階にありました。ひっきりなしにお弟子さんが来られ、いつも教室は和気藹々として、待っている間には皆さんによく遊んでいただきました。
婦人会館での「ゆかた会」で、
「大きな声で歌うんだよ。」
と言われ、一生懸命大きな声で、
「さ~く~ら~、さ~く~ら~」
と歌いますと観客が笑ったので、私が怒って頬を膨らませると、またどっと大笑いしたとか、自分ではほとんど覚えていないのですが、これが私の初舞台です。
左端・祐子
・草創期の思い出
演奏会は綺麗な着物を着せてもらえるので大好き、演奏会出たさにお稽古は嫌々でしたが、間違えてもごまかすことは得意でした。
いつのことでしたか「月の砂漠」を弾くことになり、王子様役は白ブラウスに黒リボン、白タイツの衣装、お姫様はロングドレスに金の冠。私はドレスのお姫様役でよかった、と喜んだものでした。
ロングドレスのお姫様
中学生のころ、竜泉寺温泉での「初弾き会」に父がアレンジした「軍艦マーチ」を同級生男子から学生服を借りて演奏、通りがかりの温泉客の目を惹いて面白がられました。
「黒ネコのタンゴ」大ブームの折には、父母と箏の伴奏で幼ない哲子と倫子が歌う舞台、流行の歌で大人気でした。
哲子・倫子の「黒ネコのタンゴ」
このように、子どもが喜ぶ選曲や衣装、流行を取り入れた両親の作戦に、私は見事に釣られて、演奏会は楽しいものと思って育ってきました。
・幅広いプログラムとゲスト
正絃社を名乗る以前の野村箏曲教室での演奏会プログラムを見ますと、坂本勉、森雄二、菊武潔、三品正保、土居崎正富各先生など著名な演奏家をお招きして、宮城道雄作品はもとより、筑紫歌都子、久本玄智、平井康三郎作品など、新しい作品をプログラムに取り入れていました。多くの箏曲家と交流があったことがわかり、私たちもこの伝統を引き継いでいると思います。
いつのことでしたか拝聴した演奏会で、ゲスト演奏者の方が、「演奏したいという曲がないから私が作曲した」と、幕間に話されていました。ご自分の流派では他流派の曲を演奏することができない制約でもあるのでしょうか。
正絃社では、当初よりいろいろな作曲家の作品を取り上げてきましたし、父の作曲のおかげで演奏したい曲ばかりあって、いつも選曲に迷ってしまいます。
・野村正峰の作風
昭和40年代の演奏会では、洋楽器、エレクトーンなど和洋共演、「青い山脈」「柔」など懐メロ、ポピュラーソングのアレンジ、一方で父は、長唄の名作「秋の色種」から「虫の音の手事」を作曲し、古典を大切にしてきました。ポピュラーソングから古典まで、解りやすく親しみやすく、しかも品格のある音楽で、日本の伝統文化のよさを引き出すことを大切にしてきたと確信しています。
・新しい物好きの正峰
新しいもの好きの父は、中日劇場、名古屋市民会館などのホールが新設されると、誰よりも先駆けて演奏会を開催。
「新しい皮袋に新しい酒」とばかり、もちろん新曲を掲げたのでした。
文明の利器を重宝し、ワープロもいち早く導入、うたまくらの編集や会員名簿を自ら入力、後にパソコンに買い替えた時は70歳を過ぎていましたが、指一本での入力でメールにも挑戦する意欲旺盛ぶりでした。
・「春の公演」の名前の由来
そのころは、毎年、春と秋に演奏会がありました。「春の公演」の現在のタイトルは、当時、「春の箏曲まつり」「春の公演」「秋の公演」など、春と秋に開催していた演奏会の「春」のほうが残ったものです。
そう言えば、「春の公演」を終えてほっとした翌週、さっそくお稽古に来た子どもに「先生、次の演奏会はいつ?」ときかれて、あわてて「ゆかた会」の会場申し込みに行ったこともありました。
・2011年の春の公演
忘れもしない2011年の東日本大震災、その年の正絃社「春の公演」は、震災から約一か月後のことでした。震災の翌日は音楽プラザでのリハーサルで、大勢の会員が集まりましたが、幹部の皆様が「義援金を集めましょう。」と即席の義援金箱を作り、東北正絃社への支援としました。被害の大きさに「春の公演」を中止すべきかどうか悩みましたが、相談の末、開催に至りました。
公演当日、東北地方から参加の方々の体験談に言葉もなく、驚くばかりでした。東北正絃社の定期公演は、震災で会場が損傷したため中止、そのかわりに9月、宮城県秋保温泉にて「がんばれ東北正絃社大合奏会」を開催、こちらから応援隊が駆けつけ、尺八には藤原道山さんもご協力くださいました。
正絃社は、多くの人の和で支えられていることを実感しました。
義捐金の箱
・温故育新
現代日本の抱える問題に少子高齢化、後継者不足がありますが、箏曲界も、かつてのお稽古に比べて、子どもや花嫁修業の若い女性の入門者は減っており、将来は明るくありません。
2002年から邦楽が学校の授業に取り入れられて、高校の部活なども活発のように見えますが、卒業後の継続率は低く、すぐには期待できません。文化センターで定年退職後にのんびり箏を習われる方々が、「子どものころ箏を習ったことがあるので」と言われるので、今から数十年先になると、学校の部活で練習された人たちが戻ってくれるかと期待しております。
明治開国で洋楽に押され、戦後の荒廃で低迷した邦楽であっても、父は「日本の伝統文化は決して滅びることはない」と信じ、親しみやすい作曲で底辺を広げ、団体を作り、教授者を育て、邦楽を広めてまいりました。
父が私たちへ残してくれたものを、今度は私たちが次代へ伝える、今こそ「新しきを育てる」時であると胸に刻み、「春の公演」に臨んでおります。
どうか最後まで、ごゆっくりお楽しみくださいませ。
- 2015.03.30
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