【318号】うたまくら 休んでいるあなたもお稽古を始めましょう! - 正絃社

【318号】うたまくら 休んでいるあなたもお稽古を始めましょう!

休んでいるあなたも
   お稽古を始めましょう!      大澤みどり

 私は現在、幹部会幹事のお役に携わっていることもあり、正絃社とは旧知の付き合いをずっと続けてきたかのように、お稽古の日々を過ごさせていただいております。

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 昨年の正絃社合奏団30周年コンサートにて(後列右側・大澤さん)

 しかし実は、結婚後三十年間、きちんとお箏の稽古をすることはできませんでした。とくに初めの十三年間は、お箏の道具がすべて名古屋にあったため、転勤先では箏に触ることさえ皆無でした。当然ですが、めちゃくちゃ腕が鈍りますよね。
ようやくお稽古に通えることになって、まだ腕も覚束ない中でしたが、「春の公演」に誘われました。友人に、
「練習してないから無理」と言うと、
「大丈夫練習すればひけるでしょ」と言われ、
「そんなこと言っても」といい返しながらも、
「練習すれば大丈夫かも」と内心思ってしまいました。
 しかし、それからが大変。一言で「腕が鈍る」と言っても、腕どころか、あらゆるものがダメになっていることに気づかされるのです。思いの他というレベルでもなく、想定外、甚だしいというか、絶望的レベルで鈍っているのに気づくのです。

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春の公演「エジプトものがたり」

 思うに人は、音感・リズム感はあまり狂わないようです。たとえ箏を弾かなくても、耳からあらゆる音楽が毎日聞こえてきますから。例えばお正月に出かけると、街の中では「春の海」だらけ。知らず知らずポケットの中で、指がちゃんと動いています。まるで、すぐにでも弾けるかのように。
 ダメになっていたのは、「音系」ではなく「身体的」な部分なのです。
 まず「指先」。早く動かないのは勿論、驚いたことには楽譜がめくれません。これには、まいりました。二十歳の頃は、新譜をめくって、初見で弾いても大丈夫でした。
 それから「目」。弾きながら小さい字が見えません。「月の船」の曲の中で「ほしの(星の)」というのを「はしの(橋の)」で歌ってしまい、気づいてからは、そこにかかると笑いのツボにはまり、我慢、我慢。
また、一行目からいきなり三行目を弾いてしまったり、情けなくて笑うしかありません。
 次に、認めたくありませんが「脳」。これは厄介です。初めの頃、第二箏を弾いていたのに、ページをめくった途端に第一箏を弾き、しかもそれに気づくのが遅い。合奏の時、どうして音が合わないのかわからず、手を止めてしまいました…。それからしばらくは、自分のパート上に印をつけていましたっけ。
 そして、「脳」から「神経」への伝達がうまくいかないのか、「四・九」の合わせ爪が、「三・八」または「五・十」に指が行くのです。手が箏に慣れた今は、箏の中ほどの部分の糸を間違えないようにすれば、かなり良くなりましたが、左手はまだちょっと…。違う糸を押してしまうのはしょっちゅうです。あまりの弾けなさにイラついて、手にあたったこともあります(笑)
 身体の老化は防ぎようがなく、何かでカバーしていくしかありません。見にくい字には印を付けたり、ページをめくり易くしたり、間違え易い糸に色をつけたり、演奏以外にも努力しなくてはならないのです。若い頃には思いもよらなかったことばかりです。
 しかし不思議なことに、三絃では違うことがわかりました。幸い先述の様に、音感はあまり劣ってないらしく、ポジションは何とか…。多分、絃が三本しかないからでしょうか、時には空振りしますが箏よりはすぐに弾けます。若いころ演奏した経験がある曲は大丈夫でした。おかげさまで、なんとか演奏会にも出させていただいております。

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新年会での演奏


 ところで、現在お箏から離れて「うたまくら」だけ見ていらっしゃる方、六十の手習いと思って再び始めませんか。勇気を出して。
 勿論、長く遠ざかっている人ほど、甘くみてはいけません。なかなか大変です。しかし色々方法はあります。また正絃社の皆さんは、腕前など関係無く「久しぶり~」と受け入れて下さり、親切です。まるで、ずっといたかの様に。
 うまく弾けないことを、人の目を気にするよりも、まず自分が気になってしまい、「ついていけない感」で肩身が狭い気がしたり、やっぱり無理かとショックだったり、精神的にも複雑になります。正絃社のシステムが昔と違うところもあり戸惑いますし、お稽古を休んでいた時期の話は蚊帳の外。
 でも、大変だということを踏まえた上で、「アンチ・エイジング」を目指し、人生を豊かにするためにも、お箏を始めることをお奨めします。指先を使うとボケないと言います。私も練習を再開してから、指先に力が入り易くなったためか、文字がバランス良く書けるようになった気がします。
 練習すれば直ぐに弾けるようになる方、私の様にちょっと苦労する方、それぞれです。
 正直なところ、「師範」の職格をいただいている私には後ろめたさがありました。あまりにも手が動かず、職格は低いのに、のびのびと弾いている若い方々が羨ましく見えました。しかし、私にもそういう時代があったのですから、大人げ無い。開き直って、初心者の気分で始めればきっと大丈夫です。
 久しく遠ざかっている〝あなた〟、家にお箏や三絃があるのに眠らせている〝あなた〟、そろそろ何か始めたい〝あなた〟、もう一度チャレンジしませんか。きっと、大丈夫ですから!
(直門・師範・名古屋市)

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