うたまくら - 正絃社

【313号】うたまくら 箏曲楽譜のいろいろ

箏曲楽譜のいろいろ 二代家元 野村祐子
      
 ヨーロッパでは、音楽を楽譜に書き表すことは、かなり古くから考えられてきました。キリスト教の普及とともに歌われたグレゴリア聖歌などの賛美歌は、上下の位置で「音高」を表す楽譜に記されています。これはやがて、「音の長さ」を示す音符を、五本の線の上下で「音高」を定める楽譜に発展しました。
音符にそえて、強弱、音色などの演奏方法を指定する記号や、速度、曲想など、作曲者の意図を、より正確に表現するための記号が工夫されて、現在の五線譜に至っています。

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 日本では、江戸時代、箏・三絃は視覚障害者の専業でした。音曲は楽譜を用いることなく、師匠から弟子へ口伝で伝承され、そのため、箏の演奏法を伝える古い文献は多くはありませんが、演奏法を表わす楽譜には、『琴曲指譜』『箏曲大意抄』が知られています。

 また、歌詞集のなかに、歌詞に添えて略記された箏の旋律型から奏法を推測できるものもあります。
楽譜の出版が多くなされるようになったのは明治末ごろからで、さまざまな形式の楽譜が考えられました。大まかに分けて「縦書き」、「横書き」があり、いずれも箏の絃名を用いて手法を表わす譜で、絶対音高は表わされません。
箏曲楽譜の歴史を紐解いてみましょう。

①箏の記譜法を示す文献
『琴曲指譜』
  明和九年(1772)序文
安永九年(1780)刊行
玄水編、跋文は芳州。
箏組歌の楽譜集。表組、裏組、中組上、中組下、奥組の5冊からなり、現存する箏譜のなかで、最初の精密な楽譜。
ます目を用いて拍子を示し、歌詞および箏の絃名を書き入れたもの。奏法は特殊記号を用い、絃名の左に補助的に加えられる。指使い、弱押し・強押しの区別などを区別して示した。拍子の表記法は、現行の家庭譜のワク式譜の祖型ともいえる。

『箏曲大意抄』
山田松黒跋文 安永八年(1779) 
樋口淳美跋文 天明二年(1782)
寛政四年全六刊(1792)刊行
箏組歌の楽譜集。著者・山田松黒は、山田流流祖の山田斗養一(1757~1807)の師。本業は医師と伝えられ、江戸に生田流を普及させた長谷富検校(?~1793)に学んだと伝えられる。

 拍子は大小の○◎を用いて示し、箏の絃名を右側、歌詞を左側に書く。手法はカタカナの略号で絃名に添える。第六冊には、箏の楽器構造、歴史、同類の弦楽器、調絃法、手法などの細かな説明がされており、箏に関する貴重な資料となっている。

2taii 箏曲大意抄

 

②箏曲に関する文献
『琴曲抄』〈箏組歌の歌詞集〉
著者不明。刊記は元禄七年(1694)、序文は同八年。十三絃筑紫琴の図、八橋検校にいたる箏の歴史、八橋検校十三組と新組新曲二曲の歌詞を収録。歌詞の右側に、箏の奏法の旋律型が略記されている。

『琴曲洋峨撫箏雅譜集』
宝暦五年(1755)初刊。序文は新豊亭主人。安村検校の校訂といわれ『琴曲抄』の補遺となる。記譜法も『琴曲抄』にならっている。表組、中組、新組の上中下3冊からなり、新組の最後には安村検校自身の作曲《飛燕の曲》を秘事として収める。『琴曲抄』同様、歌詞の右側に、箏の奏法の旋律型を略記。

3sougafu 琴曲洋峨撫箏雅譜集


『増訂撫箏雅譜集』
 山登検校校訂による山田流の増補版、嘉永
六年(1853)刊行。『琴曲洋峨撫箏雅譜
集』の補遺。

このほか明治三九年(1906)『琴曲洋峨撫箏雅譜集』(山田流版)、『新曲九組目録』(明和八・1771)、『琴曲洋峨集』(天明七・1787)、『箏曲新譜』(寛政11・1799)などの補遺集には、さらに新曲が収められています。
 

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③明治末期~大正時代に創業した主な箏曲楽譜出版社
明治開国、洋楽の導入などで、衰退した邦楽を振興させるため、大正時代より女性の教授者が認められるようになったことや、新日本音楽運動の旗印となった宮城道雄の新作品人気もあいまって、楽譜による教授法が新式の教授法として普及していきました。

大日本家庭音楽会
 バイオリンをたしなむ逓信省の役人の坂本五郎氏(無線技師)は、箏を習う妻が、なかなか暗譜できないので、妻の口唱歌やメモをもとに楽譜を考案。絃名を表わす数字を、縦書きの枠にあてはめて音符の長さを合理的に整理した楽譜を作成。特殊奏法は記号、休符を○で表示する「タテ書ワク式譜」。

 明治43年、出版事業に乗り出した坂本氏は、その後、大正2年より、山口巌氏(東京音楽学校教授・生田流京都系)の校閲を受けて古典楽譜、主に生田流楽譜を発行。
大正時代には、琴の講義録を出版し、通信教育の独習書として普及。そのころの海外への移民者の中には、日本を懐かしんで箏を習うものもあり、楽譜によって独習が可能となり、海外移民者へも邦楽が普及。坂本氏は、箏のほか尺八、三味線、ヴァイオリン、マンドリン、ハーモニカなどの講義録も出版。

 昭和2年ころより、吉田晴風氏に紹介された、新進箏曲家の宮城道雄作品を出版し、宮城作品の人気とともに、楽譜は急速に全国に普及。
また、流派によって様々であった三味線譜の統一を試みて、昭和5年、筑紫歌都子氏の考案による数字記号で、三味線タテ譜を作成し、統一流三味線楽譜を発行。ブラジルなどの海外向けの独習用に使われ大人気を博しました。
なお、「家庭音楽会」の名称は、家庭への邦楽普及が男女の出会いのきっかけとなることからの命名とのことです。

5dainihon 大日本家庭音楽会のタテ書きワク式譜

 

博信堂
 五線譜を数字で表示したハーモニカ譜を下敷きにした横書き譜。小節は、2拍または4拍ごとの縦線で区切り、付点と絃名の下に引いた線によってリズムを記譜。休符は○、特殊奏法は記号で表記。
今井慶松氏(東京音楽学校教授・山田流)、前述の山口巌氏の演奏を採譜し、山田流譜のほか、生田流名古屋派など、それぞれの地方での権威ある演奏を採用して記譜し、発行されました。

 横書き譜は、山田流で多く使われていますが、昨今の邦楽人口の低迷により、出版部門が閉鎖され、多くの著作者の楽譜や古典譜の再販は難しい状況にあるようです。

6hakusin 博信堂の横書き譜 

 

邦楽社
 三味線譜を専門としていたが、戦後、家庭音楽会より宮城道雄著の古典譜出版を譲り受け、箏曲譜を発行。楽譜形式は家庭音楽会と同様のものを採用しています。

 

前川出版社
 大正7年、中島雅楽之都氏によって考案された楽譜で、五線譜と都山流尺八譜からヒントを得た音符表記法。縦書きで、小節ごとの枠はあるが、小節の中では、絃名の右側に棒線を沿えて、4分音符、8分音符、16分音符などを区別して表記。特殊奏法の表記には、他社と異なる独自の記号を用いています。

maekawafu 前川出版社の楽譜

 

その他の楽譜
このほかに考案された楽譜記譜法には、箏
の絃13本を五線譜のように横に書いた上に音符で音の長さを記譜した「十三線譜」、五線譜上で音高に関係なく13本分の位置を決めて記譜した「(見かけ)五線譜」や、洋楽系作曲家によって五線譜で作曲された曲では、絃名譜に翻訳しないでそのまま演奏に用いる場合もあります。

 

④新作の楽譜化
 箏曲の作曲では、地歌三曲の合奏形式がもっとも一般的な楽曲の形式ですから、箏に三絃、尺八の合奏作品が多いものです。箏曲の記譜では前述のいずれかの箏譜を用いますが、三絃、尺八、それぞれ記譜法が異なるので、作曲に際して現代の作曲家たちは、五線譜を使うことが一般的です。五線譜は、絶対音高を表わすので、多重奏の作曲には適しています。 
しかし、実際にそれぞれの楽器の演奏に適しているのは、演奏手法が記譜された楽譜です。楽器の手法を生かした演奏のためには、箏譜、三絃譜、尺八譜へと翻訳する手間がかかるのが現状です。

正絃社譜
 一般的に多く使われている縦書きワク式譜から、マス目の中の横線をなくし、より簡略化した記譜法にしたもの。新作は、めくりやすい譜割りを考え、古典譜では、不規則に展開する旋律にあわせて小節線を適宜入れ、曲のフレーズを理解しやすい楽譜に工夫しています。

seigenfu 小節線を変えた正絃社譜

 

⑤演奏と楽譜
 邦楽の伝承とは、古来、耳から耳へ、手から手へ、人から人へ伝えられてきたものです。曲の習得は、音楽に込められた心を身につけることで、厳しく見れば、楽譜に頼って演奏するのでは未熟と言われそうです。
それぞれの時代において、より正確な演奏法の記譜が工夫され、多くの楽譜が現代に至っています。しかし、楽譜の記譜法がどうであっても、作曲者の意図を理解し、よりよい演奏とするには、まず、演奏者が楽譜から音楽を読み取る力を持つことが、必要ではないのかと思います。
「楽譜に頼って演奏するようでは、曲の心は掴めない」と、楽譜は必要ないと言う人もあります。現代は、新しい創作曲が氾濫し、全国各地で、次々と新作が発表されている状況では、古典の地歌三曲形式のように、三絃と箏がそれぞれひとつのパートのみから成る合奏形式ならまだしも、複数のパートからなる合奏曲では、すべてのパートを口伝でひとつひとつ習い覚えるのは至難の修習です。
楽譜をいかに読み解き、音楽を理解して演奏に表現することができるか、これが現代の課題ではないでしょうか。

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