うたまくら - 正絃社

【308号】正絃社創立五十周年を迎えて/野村祐子

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新年おめでとうございます。
   本年、正絃社創立五十周年を迎えるにあたり、創立当時を振り返ってみましょう。
昭和40年新年号の「うたまくら」第38号(編集/野村正峰・平野時子)に、次のように書かれています。

新春を飾る話題
  輝かしき発展を期し教室名改称
        箏曲部は正絃社に
        尺八部は峰友社に
 私どもの教室は、多年「野村箏曲教室」として親しまれ、発展の一途をたどってまいりましたが、門下生のうち教授者として活躍する方も年をおって多くなり、団体名称として統一的な名称をとの要望が、各方面からよせられるようになりましたので、新春を期し、傘下社中全部を抱合した邦楽団体として、「箏曲正絃社」「尺八峰友社」の部門別の名称を誕生させることに決定いたしました。社中の会員一同も、今年から気分を一新して技をみがき人格を養い、よりすぐれた団体として邦楽界に声価を高めるよう努力しようではありませんか。(中略)

 

年頭の言葉  野村正峰
   兵法に「地の利は人の和に如かず」という言葉あり。個々の技術がいかに上手であっても、人数がいくら多くても、お金がいくらあっても、「人の和」のない団体は「烏合の衆(統一のないあつまりという意味)」にひとしい。よい仕事をしようと思ったら、まず「人の和」が第一だ。今年も仲よく私と一緒に勉強しよう。

 

   昭和28年に開設した「野村箏曲教室箏部・尺八部」から現在に至る転機となった昭和40年、その前年の39年に父・野村正峰は、処女作「長城の賦」を発表して邦楽作曲家として名乗りを挙げました。日本の好景気の波にのって、戦後低迷していた邦楽界も、ようやく右肩上がりを迎える時代でした。
   この「うたまくら」によると、昭和40年は新年早々の1月2日に「新職格者免状授与式」、10日は「新春初調べ会」(中電ホール)を開催し、同日夜に中部芸能タイムス「新春会」にて演奏。同月31日はNHK主催による「名古屋三曲大会」(愛知文化講堂)にて「長城の賦」「眠れる春」を演奏、翌2月21日の尺八日本社主催「東西三曲名流大会」(大阪サンケイホール)にても「長城の賦」を演奏しています。

 

   前後の予定にも、楽理講習や古典勉強会などが頻繁に開催されており、勉強熱心な教室の様子が伺われます。「正絃社」とともに名称を新たにした「峰友社」とは、当時、野村正峰が指導していた尺八の門人(菊水流・九孔尺八)で、この後に都山流に転じ、さらには現在、野村峰山が率いる「峰山会」へと繋がっています。父から直に指導を受けた門人の方々が、今もなお現役で活躍されており、邦楽は決して絶えることなく続くものであると、心強く感じております。
   亡き父が目指してまいりました日本の伝統文化の振興、邦楽の向上発展の願いを引き継いで、創立五十周年記念「春の公演」、毎回の公演に増して盛大に開催したく存じます。恒例の公演実行委員会も、会員の皆さまの晴れの舞台作りに、準備にと力を入れております。
   どうか、多くの皆さまのご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

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謹賀新年
 正絃社二代家元 野村祐子
   家元補佐    野村秀子
     同       野村哲子
     同       野村倫子

都山流尺八峰山会         野村峰山
  正絃社幹部会本部     役員一同
  正絃社幹部会関東支部 役員一同
  正絃社幹部会東北支部 役員一同
  正絃社事務局         職員一同
本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

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