【237号】古典に学ぶ(8)「箏曲大意抄を読んでみよう(続)」(その1)/ 野村正峰
昨年から本誌にとりあげている、箏曲大意抄を続けます。この書物は、二百年あまり前に出版されたもので、当時演奏されていた箏曲の沿 革、伝承、楽曲の歌詞、楽譜などを網羅した大部なもの。相変わらず原文は漢文、または変態仮名の文で綴られ、読みづらいのです。すでに 学術的には研究者も多いのですが、これは私の読んだ大意抄として、参考になりそうなことを拾い読みしています。
今回は『組』の話。近年一般の箏曲のお稽古には『組』というジャンルの曲を教材にする先生は稀になっているようです。 『組』とは、 一 般には『組唄』として知られていますが、本来は、箏曲の開祖、八橋検校がきめた教授課程のような、修習順によって仕わけされた曲群と考 えていいようです。
現在も、システムとしては類似の考えかたが作動していますが、 『組唄』そのものの伝承が必修の課程という考えはもう当 世的ではなくなっています。
ここに紹介する『組』の話は、大意抄の著者自身が覚東ない話だ、といいながら掲載している、いわゆる異聞に属する話ですが、こんな説もあっ たのだという意味で読んでみましょう。
天文(1532~1555)年間に、西国の大名の大内義隆(1551没)の許へ、京都の宮廷中(持明院)から、 一人の淑女を迎えるこ とになりました。この方は禁中一の美女といわれた方で、山口では、中の御方と称し、山手にあらたに館を造営し、壮麗な彫刻や漆塗りの板 蒔絵の障子のある建物に金銀珠玉をかざり、庭園にも意匠を凝らした樹林や清流を配し、その情景は覚器山の沙石を敷いたようで、秦の阿房 宮もかくやとばかり。築山御所といいました。さて、この中の御方は、こんなに大切にしてもらっても、都恋しの思いで心ここにあらず、 都の空ばかり眺める明け暮れでしたので、花鳥風月によせ風雅の遊びをすすめ、何とかお慰めしたいと、京都、奈良から申楽(きるがく)の 芸人を招いたりしました。ある時、御方の旧知の官廷貴族たちを招待したところ、和歌管絃の遊びとなり、殊に興味を持って喜ばれたのは、 則春、清政、奉孝、重頼、高雅、行道、是正の七人の貴族(殿上人)たちとの遊びでした。各人が歌を一首ずつ詠み、その歌へ即興的に 琴をつけるという遊びで、そこで最初に出来たのが『ふき組』でした。当然歌は七つです。のちに七人のうち、行道が亡くなり六人になった ので、その後は歌が六つになりました。琴の組歌というのはこの時から始まったものなのです。天文2年(1533)甲成2月
注
『ぶき』は一般に『菜蕗』と書き、別名『越天楽(の曲)』とも、 『富貴』 『蕗』とも書かれていますc雅楽の越殿楽から筑紫流箏曲へ、更 に八橋の組歌表組第一曲へと、陰旋音階に変化しつつ成立していったもののようです。
復習をかねて年代を整理してみましょう。
山口の組唄発祥説 1533(発巳)
八橋槙校の生没年 1614~1685
同 組歌制作 1644~1651
八橋琴曲抄の出版 1695(乙亥)
安村検校撫等雅譜集出版 1755
箏曲大意抄出版 1779
八橋検校の組歌に先んずること百年余、山田で組が発祥したという説。大意抄には『此の書当流の印可の極秘なりと伝えるが、天文2年は 葵巳であって甲戊ではないし、文も余りに取り飾っているので(真偽のほどは)覚束ない』とあり、史実の実証には乏しいようです。
ただ、年表を繰ってみると、大内義隆は朝鮮や明(中国)との貿易や石見銀山の経営で内証は裕福だったらしく、天文8年(1539)に は京都から多くの公卿や職人を山口に下向させている記録があるので、このあたりに伝承の謎を解く鍵がありそうです。
山田へは、私も数回作品講習や演秦会で訪れたことがあり、華麗な五重の塔のある瑠璃光寺や、組唄発祥の地の碑のある築山神社も案内し てもらったことを思い出したので、記憶の確認のため、防府市在住の関洋子師に資料を送っていただきました。
大内氏郷代、教弘の時代(1490頃)、大内館だけでは狭くなったので、北隣に居館を造営し、立派な築山があったので築山御殿とよば れた。連歌師の宗蔽も京から招かれている。御殿のあとは現在築山神社となり、 1551年に陶氏に攻められ、長門で自刃した義隆一族と、 運命を共にした公卿28人を記っている
京都から文化人を招いて或る時期独自の大内文化圏を形成していたことは、今も考証が続けられています。
組唄発祥の地の碑には、発起人として著名な学者のかたや、家元、宗家クラスのかたの方名が刻まれ、今は亡き正派家元の雅楽之都さんや 沢井忠夫さんの名もあったように記憶していますから、それほど古いものではありません。
たいへん興味のある話題ですが、箏曲あるいは組歌、地歌の発祥に因縁ありということで、地方都市振興もかねて、いわき市、山口市、九 州の久留米市、諌早市、熊本市などで、近年になって全国規模の演秦会やコンクールが、よく催されるのも、主としてこの大意抄に源を発し ているようです。
(以下次号)
- 1998.08.17
最新記事
- 2024.10.18
【347号】うたまくら 私の作曲こと始め - 2024.07.03
【346号】うたまくら 野村峰山 紫綬褒章受章 - 2024.04.07
【345号】うたまくら 箏曲正絃社創立60周年を目指して - 2024.01.01
【344号】うたまくら 2024年新年を迎えて - 2023.10.09
【343号】うたまくら 新刊「パンドラ」 - 2023.07.01
【342号】うたまくら 出会いの喜び 演奏の楽しさ - 2023.04.01
【341号】うたまくら 歓びの日々に感謝 - 2023.01.01
【340号】うたまくら 令和5年迎春 - 2022.07.01
【338号】うたまくら 箏に助けられ - 2022.04.01
【337号】うたまくら 感謝と信頼と希望 - 2022.01.01
【336号】うたまくら 伝承と創造 - 2021.10.03
【335号】うたまくら 一歩前へ踏み出そう - 2021.07.04
【334号】うたまくら 音楽は心の栄養 - 2021.04.02
【333号】うたまくら コロナから前進へ - 2021.01.01
【332号】うたまくら 新年を迎えて - 2020.10.04
【331号】コロナ生活のなかで - 2020.07.26
【330号】非常事態のなかで - 2020.04.16
【329号】コロナウイルス対策のなかで - 2020.01.01
【328号】うたまくら 祝・令和のお正月 - 2019.09.18
【327号】うたまくら 「にっぽんの芸能」出演